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魅惑の広州 その1【中国日記vol.103】

 なぜか広州に行くとホッとします。それは流花湖公園と越秀公園という二つの大きな公園が街の中にあるからでしょうか。或いは中心部に飛び抜けた高層ビルがないせいかもしれません。道路脇の手入れの行き届いたみずみずしい緑の植え込みや街路樹も気持ちを和ませてくれます。
 日本からの観光ルートにはあまり入っていませんので、皆さんの印象はどちらかというと春と秋の広州交易会、ホンダやトヨタの工場進出などビジネスに偏っているのではないでしょうか。今回から二回に分けて、広州の魅力をお届けします。

1.広東省の省都
 世界の工場・珠江の三角州の頂点に位置します。東の裾は深せん、そして香港へ、西の裾は珠海、そしてマカオに至ります。珠江デルタに縦横に整備された道路網が、断続的に続く工業地帯を結びます。
 広州は食文化の点でも他地域と一線を画しています。広東料理の中心、そして飲茶の習慣、点心・ラーメン・粥など軽食の文化も発達しています。軽食店の並ぶ裏通りには南方米や蒸し物の匂いに混じって豚骨スープの濃い香りが立ちます。鍋を覗くとスープの中から豚の鼻が突き出ていたりします。中華料理で出しは鳥ガラを使うのが普通ですが、広東ではトンコツです。飲茶の店は老人達で朝から賑わいます。流花湖公園のレストランでは朝方まで、夜風にあたりながら軽食とビールを楽しめます。
 香港の流行は瞬く間に伝わります。欧米、日本、香港のファッション店が軒を連ねます。コンビニや外資系ファストフードの店も豊富です。日本と変わらない服装の女性が席に着くなりせっかちにケータイで話し始めます。日常の買い物は地下鉄で日系の吉之島(JUSCO)に行くのがおしゃれです。それに・・・。

2.越秀公園
 亜熱帯特有の蒸すような木々の香りに包まれて公園の中心に向かいます。
 木立の中に五匹の羊の像があります。伝説では、この地に五人の仙人が五匹の羊にまたがって飛んで来て、人々が飢えることがないようにと穀物の穂を与えて去り、羊は石になって残りました。そこで広州のことを「羊城」或いは「穂城」と呼ぶようになりました。「城」は中国語で都市のことです。
 仙人といい羊といい、いかにも中国北方の文化を連想させますが、歴史もそれを示しています。秦の始皇33年(紀元前214年)嶺南を征服し、南海郡を設置、番禺(今の広州)に役所を置いたとあります。中原の文明が及び始めたのです。
 揚子江下流域からこの地にかけて航海を得意とする民族が住んでいました。「百越」と呼ばれるように幾つもの部族に別れており、統一した国は持ちませんでした。広州では秦代の造船所跡が発掘されましたが、最大で30トン積載できる船が造られたと推定されています。

3.西漢南越王博物館
 秦末に南海尉(南海郡の長)趙佗が自立して南越国を建て、自ら武王と称しました。その二代目の王墓が発見され、その上に博物館が建てられています。屍を覆っていた玉衣はあまりにも見事です。玉や金、青銅などの装飾品、生活道具、楽器、陶器や鉄製・青銅製の武器など挙げ始めたらきりがありません。海上交易が富をもたらしたことでしょう。この王の、ひいてはこの地方の豊かさを物語っています。博物館を出た時には足が棒になっていること請け合いです。

4.広州博物館
鎮海楼 越秀公園の一番北奥まで坂を登りきると5階建てのがっしりした煉瓦作りの建物がそびえています。鎮海楼です。明の洪武13年(1380年)に建てられたのが最初、この建物は1929年に再建されたものです。広州を囲む城壁の一番高いところに位置していますので珠海デルタが小さかった昔は海を見渡せたのでしょう。名前が示すように、当初は航海の安全を祈ったのですが、今は博物館として広州の歴史を紹介しています。
広州東駅を望む 漢代の遺跡から出土したペルシャの銀器やガラス器が展示されています。インド東岸やセイロン島までは中国船の縄張りでした。唐代はやはり広州が嶺南道統治の中心となり、唐が滅んだあとこの地域にできた南漢では国都になりました。
 元代には海上交易が一層盛んになり、多くのイスラム商人もやってくるようになりました。1349年(元の至正9年)の高麗人の墓碑には「イスラム聖人の墓を訪ねて広州に来たが病没した」とアラビア語で書かれています。広州を中心とする交易ルートが朝鮮半島にまで及んでいたことと、高麗人にもイスラム教が広まっていたことが解ります。
アラビア語で書かれた高麗人の墓石(広州博物館) 明代には鄭和の大航海が行われました。以後中断の時期はあるものの、清代に至るまで中国船はアジア一帯で活躍し、広州はその主要拠点として栄えました。

次号に続く

写真1:鎮海楼
写真2:広州東駅を望む
写真3:アラビア語で書かれた高麗人の墓石(広州博物館)