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蝿の思い出【中国日記vol.110】

 高度成長を経てゴミ処理場や下水道の整備がすすみましたので、日本ではめっきり蝿を見なくなりました。実際、蝿を見たことのない子供さえ居ることでしょう。東京の夢の島界隈で大量発生したとか、そんなことが話題になるくらいです。
 「ところがどっこい」なのか、「想像通り」なのか、中国ではまだまだ身近な存在です。

1.蝿取り紙(はえとりがみ)
 昭和30年代生まれまでの方は記憶の濃淡はあれ、懐かしく思い出されるはずです。ネバネバした液を塗ってある5センチ幅の紙のロールを引っ張ると長さ1メートルくらいになり、それを天井から付属の押しピンで吊します。蝿がそこにとまったら足がひっついて、もがけばもがくほどネバネバがからみついて、やがて御陀仏という代物です。一ヶ月くらいすると蝿がびっしりと張り付き、交換時期を迎えます。「夏の風物詩」とも言える存在でした。

2.小学校で
 昭和40年代、蝿はまだ身近な存在でした。給食の時間も教室に紛れ込んだ蝿が飛び回ることがしばしばでした。神経質に追い払っていると、担任の先生が、「中国では、饅頭に蝿がいっぱいたかっているのを見て、「この饅頭は蝿がたかるくらい美味しい」と言うんです。」と戦前の中国の話しをして下さいました。中国の人は何とプラス思考なんでしょう。我々は感心したものです。

3.天津で
 我々の工場は郊外の「経済開発区」と呼ばれる工業団地にあります。開発区の隣は農村でした。農村には、下水道もなければゴミの収集サービスもありません。道路の舗装もされていません。開発区とは別世界です。
 開発区と農村を隔てる用水路は、一面に使い捨てのプラスチック弁当箱、食品やアイスキャンデーの袋、レジ袋などが浮いていました。卵の殻や生ゴミ、残飯も捨てられますので、夏になると腐臭が漂います。当然蝿が大量発生、開発区に迷い込みます。酒造りが冬の仕事であることに感謝したものです。
 一昨年、開発区の拡張が決まりました。昨年、最後の農民が立ち退き、水路も埋められました。蝿は激減です。

4.夏の楽しみ
 蝿もあまり多いとやる気になりませんが、時々部屋に入ってくると闘志が湧きます。まずは、逃げられないようにドアを閉めます。雑誌を丸めて右手に持ち、戦闘開始です。だいたいは窓に留まった時に叩きますが、時には空中で叩き落とせることもあります。快感です。

5.立ち退きの後
牛肉麺屋(背後は市内と港方面を結ぶ軽軌鉄道の高架) 役所の目こぼしがあるのでしょう、取り壊し待ちの農民の家に西部から移ってきた一家が入り込み、牛肉麺屋を始めました。ラーメン通の私としては食べない訳には行きません。
 道路に面して立地が良く、昼は工員達で賑わいます。工員は、内陸の農村から住み込みで出稼ぎに来ている人たちがほとんどです。痰や唾をテーブルの回りに、時にはスープを煮込んでいる鍋の脇にまで吐きます。テーブルには細かい黄土色の斑点があります。指で触れると、土埃でした。ラーメンには熱が通っていますから、衛生上の問題はないと観念します。蝿も熱いものにはとまりません。

6.蝿の少ない生活
 かつての日本がそうであったように、中国では農村部はもとより都市部でも、まだまだ蝿との共存が続いています。しかし、社会が豊かになると衛生観念が向上します。今の時代に「蝿がたかるほど美味しい」と言う人はいません。
 引っ越して行った農民達は、僅かばかりの保証金と代替アパートの支給を受けています。ゴミが敷地内に散乱して異臭を放っている可能性は必ずしも低くありませんが、おそらく新築アパートにはゴミ捨てのルールが強制されていることでしょう。蝿が減ったことに気付いているでしょうか。更に、その原因が住民一人一人のゴミ処理にあることにまで気付いてくれれば、公衆衛生向上へ大きく一歩前進です。

この号終わり

写真:牛肉麺屋(背後は市内と港方面を結ぶ軽軌鉄道の高架)