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甘栗の季節【中国日記vol.113】

 透明な空気、抜けるような青空。河北の秋です。年ごとに砂漠化が進んで埃っぽい空気に包まれる日が増えていますが、秋は大陸高気圧に覆われて北の乾燥地帯からの砂塵が飛ばない穏やかな日が多くなります。
 天津や北京などの大都市はもとより河北一帯の街では、道に面した店舗の前に炉が置かれ、あるいは道ばたの屋台で、甘栗を煎って売り始めます。秋は甘栗の季節の始まりでもあります。甘い香りが漂い、道行く人を魅了します。

1.甘さの秘密
天津の秋晴れ(右奥はテレビ塔) 炉の上に置かれた鉄鍋で、黒い小石と共に栗を煎ります。かき混ぜながらゆっくり熱をかけて行きます。石からは遠赤外線が出るそうで、熱が栗に伝わり、栗をほっこりと甘くします。時々水飴を加えます。水飴は栗の表面に膜をつくり、栗の水分を中に閉じこめて柔らかい仕上がりにしてくれます。甘栗の甘さは栗本来のもので、水飴の甘さが滲みたものではありません。水飴は焦げて栗を黒く艶やかに化粧してくれます。

2.名の由来
 日本では「天津甘栗」。中国では加工方法から「糖炒栗子」、原料の栗から「天津栗子」、何れも通じます。この栗は小粒で渋皮が剥がれやすい品種です。その名から、天津で採れる栗と思いがちですが、産地は必ずしも天津ではありません。天津に集められ、天津港から出荷されたからその名で呼ばれるようになったのです。

3.産地
甘栗を煎る道端の店 天津市街から北へ約100キロ、燕山山脈が東西に走っています。その山頂伝いに長城が築かれ、東は秦皇島で渤海に至り、西は北京の長城観光名所の八達嶺に続きます。その山脈をはさんだ南と北の斜面が天津栗子の産地です。
 海抜500メートルに満たない山岳地帯には大躍進時代の伐採を免れた森が残り、果樹の栽培が盛んです。栗、柿、棗(なつめ)、桃、サンザシ、リンゴなどが栽培されています。栗は、北京市懐柔県や密雲県、天津市の荊県、河北省の遵化市、興隆県、遷西県、寛城県、青龍県などが有名です。北京市と天津市は、中央政府4直轄市の一つですから、日本で言えば都道府県の都と府にあたります。省は県に相当します。荊県や興隆県など、直轄市や省の下の県は、日本の郡にあたります。

4.天津甘栗の起源
 漢代に司馬遷が著した歴史書「史記」の貨殖列伝にも「燕秦千樹栗」とありますので、紀元前からこの地域で栽培されていたことが解ります。
 今のような小石で煎る天津甘栗は、遼が華北を支配していた11世紀頃に始まったようです。遼はモンゴル系の契丹(きったん)族が立てた国です。長城を超えて華北に入り、宋を苦しめました。宋では、石炭火力を用いることが普及しましたので、石炭を焚く炉の上で栗を小石で煎るという方法が発明されたのでしょう。
 因みに香港を代表する航空会社の名称として皆様お馴染みのCathay(キャセイ)は中国を意味する英語ですが、契丹の名称が西方に伝わったものです。
5.日本への伝来
行列のできる店 日本には1910(明治43)年頃に栗が輸入され、神戸の南京町で販売されたのが始まりだそうです。しかし、こんなに美味しいものが直ぐに日本に伝わって来ないほうが不思議です。日明貿易が盛んであった室町時代や鎖国政策が採られるまでの江戸初期には栗を輸入して中国同様に小石で煎って食べていたかもしれませんね。
 今では大量に日本に輸出され、日本人にとって普通の食べ物になりました。おまけに、日本に輸出されるのは上物ですから、甘栗にハズレがありません。もっとも天津でも行列のできる店があります。上物だけを選んで煎っているのです。
 冷蔵保存技術の進歩で日本では年中販売されていますが、河北では寒空の下、行列して熱い甘栗を買って帰るのが冬の楽しみ。年が明けて日射しが明るさを増すと、甘栗の季節の終わりです。さて、今年の冬も甘栗で乗り切るとしましょうか。

この号終わり

写真上:天津の秋晴れ(右奥はテレビ塔)
写真中:甘栗を煎る道端の店
写真下:行列のできる店