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晩秋【酒蔵便りvol.13】

<酒蔵の様子>

圧搾 紅葉が日、一日と鮮やかな彩りを見せています。酒蔵の脇の柿も色づきました。冬の足音が聞こえてきました。
 暖房が欲しくなるほど、朝夕の冷え込みを実感します。酒造りにとっては嬉しい季節の到来です。毎日、毎日、酒造りは進んでいます。そして発酵の終わったものから順次、圧搾を行います。
 大吟醸など特別なものを除いて、圧搾は専用の機械を用います。大きなフレームの中に袋をかぶせた板を数十枚並べ、その隙間にもろみを注入します。袋の布目を通して板の側に酒が染み出し、通路を通って手前のアルミ製の小さなタンクに流れ落ちます。これを「垂れ口」と呼びます。滴り落ちる酒は、甘い香りを放ちます。口にすると炭酸の混じった香ばしい清酒が口の中に広がります。しぼりたて原酒のできあがりです。


<今月のテーマ>

 大和の寺社巡り、今月は酒造りの神様・三輪神社と同じ時期に、ペアで創建されたとされる大和神社(おおやまとじんじゃ)後編です。

大和神社(おおやまとじんじゃ)<後編>

大和神社本殿 奈良盆地を取り囲む東の山裾に程近く、平地の中に浮き立つような木立に囲まれて社があります。東には古墳群、南東数キロ先には聖なる山・三輪山(みわやま)を見ることができます。
 有名な神社ではありませんが、その鳥居の大きさ、立派な参道は古来、神格が高かったことを納得させてくれます。太平洋戦争末期に戦艦大和に祀られたのはなぜか、その謎に迫ってみましょう。

5.天照大神の分離
 記紀には、天照(あまてらす)と大国魂(おおくにたま)は最初は一緒に祀られていたと書かれました。それは、初代神武天皇に始まり応神に滅ぼされるまでの崇神の王族やその祖先、その信仰を象徴する一つの抽象的概念であったからです。その内、太陽信仰だけを分離したというのです。
 実は、そうせざるを得ない理由がありました。天武天皇が674年に斎宮を造営し、太陽神・天照だけを伊勢に祀る体制が整っていたのです。そこで、太陽神を除いたものを「大国魂」として崇神一族が統治を始めた大和に祀る必要があったのです。

6.神仏習合
長岳寺楼門(平安時代) 奈良時代中期以降、仏教が浸透するにつれ神と仏の融合が始まりました。神社の境内に寺院が建てられ、神前読経が行われるようになりました。このような寺を神宮寺と言いますが、大和神社でも824(天長元)年に長岳寺が建てられました。その前にも寺があったようで、直ぐ北側に古代寺院の跡があります。更に平安時代後期になると、「神は仏が形を変えて現れたものであり、その正体は仏である」(本地垂迹説)という考えが生まれ、仏を通して神を拝むようになりました。
 長岳寺は、壮大な規模を誇る寺として栄えましたが戦国時代の戦火で焼かれ、江戸時代は寺領百石の規模にて維持されていました。明治元年の廃仏毀釈により寺が衰える一方、大和神社が純粋に神を祀る社として日の目を見るようになりました。不思議なのは、長岳寺と大和神社が2キロ近くも離れていることです。いつの頃か、神を祀る主たる場所を今の地に移したのでしょう。

7.神官の正体
 初代神官となった長尾市(ながおいち)とは何者でしょう。日本書紀によると宇佐から神武東征の水先案内をした宇豆毘古(うずひこ)の7世孫です。どうも宇佐の海部の出身、航海と戦を得意とした一族のようです。
 因みに、不比等の死の5年後に完成する宇佐八幡の三神官の一人も宇佐の海部出身です。宇佐八幡には応神の一族と航海の女神・比売神(ひめがみ)を祀ります。応神も船に乗って大和に攻めてきたのです。

8.航海の神
 奈良時代の詩人・山上憶良(やまのうえのおくら)は遣唐使を送る歌の中で大国魂を航海の安全を護る神としています。初代神官の長尾市の素性を裏付けるものです。
 太平洋戦争末期、沖縄戦に捨て身の特別攻撃に向かった戦艦大和に大国魂の分霊を祀りました。初代神武天皇以来の加護と航海の安全を祈ったのでしょうが、途中で米国海軍艦載機による攻撃で撃沈されました。制空権を持たない艦隊の当然の運命ではありますが、滅ぼされた王族の神威の限界であったのかもしれません。

大和神社、終わり

写真上 圧搾
写真中 大和神社本殿
写真下 長岳寺楼門(平安時代)