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酒造り【酒蔵便りvol.24】

<酒蔵の様子>
 社長の私はゴルフをしませんが、「ゴルフ、始めましてん!」と冗談を言っても真に受けられるほど稲刈りで日焼けしたのですが、そんな日射しもどんどん穏やかになり、夕暮れの早さに秋の日の短さを実感します。いよいよ酒造りの始まりです。

米を蒸す甑(こしき) 秋晴れの日は、朝の冷え込みが米を冷ますのに最適です。
先ずは麹づくり。蒸し上がった米に麹カビの胞子をふって布で包み込み、一昼夜。米の表面に白い点が見えてきます。麹カビが生長を始めました。それから更に一昼夜、温度を管理しながら菌糸を米粒の中にまで生育させます。米粒が菌糸で白くなり、栗のように甘い香りが立ちのぼります。麹のできあがりです。
 麹ができたら今度は酵母菌の培養です。酵母菌はアルコールを作りだしてくれる大切な菌です。そこで酵母菌が増殖した液を酒母(しゅぼ)と呼びます。小さなタンクを使って酒母を造ります。タンクの中では麹が米の澱粉をブドウ糖に変え、酵母菌はそのブドウ糖を食べて増殖します。泡がプクプクと出て、リンゴのような甘い香り。出来上がりです。
 麹と酒母ができたところで、いよいよ最初のタンクの仕込み(麹、蒸し米、水を加えて攪拌する作業)が始まります。そして、二本目のタンクの麹づくり、酒母づくり。そして次のタンク・・・、暖かくなって酒造りができなくなる春まで続きます。
 
写真:米を蒸す甑(こしき)

<今月のテーマ>
宇佐八幡<後編>です。八幡神がどういう神か、いつの間にか忘れ去られます。明治の廃仏毀釈で「神社」になりますが、「宇佐神宮」と改名され、「八幡」という神の名前さえ消えて現在に至ります。

宇佐八幡<後編> 廃仏毀釈と八幡神の消滅

11.廃仏毀釈
臼杵石仏(山王山如来) 宇佐八幡とは言うものの、その実態は弥勒寺であり、回廊に囲まれた金堂、講堂、仏塔が広大な境内の中心を占めました。その本尊は弥勒菩薩と薬師如来です。弥勒菩薩信仰の中に応神天皇が、薬師如来信仰の中に神功皇后が意識されていたはずです。その間、八幡神はどこかに忘れ去られました。姫神は外に出され、近くの比売神宮寺に祀られました。
 大分市郊外や臼杵には、平安末期から鎌倉時代にかけて作られた磨崖仏が残ります。この世はもう終わるという末法思想が流行った時期です。あの世で幸福をもたらす阿弥陀如来信仰が全国に広まりました。当時、宇佐八幡は豊前国最大の荘園領主であり、宇佐八幡こと弥勒寺の経済力によってこれらの石仏が作られたものと考えられています。
 明治の神仏分離によって仏教を排除することになり、弥勒寺を根こそぎ破棄しました。本尊は近くの寺院に移されて難を逃れました。残された仁王像は神社の宝物館に移され、「日本最初の神仏習合」の証として展示されています。
 境内の外れの高台に三棟の小振りな神殿が受け継がれていましたので、それを本殿としました。都合良く、幕末に建て替えたばかりでした。

12.「八幡神」の消滅
蓮池より弥勒寺のあった方向を望む 神仏分離にあたって、第一殿に祀る神は「八幡神」ではなく「応神天皇」としました。神社では、「比売(ひめ)神を祀っていた山に降り立った八幡神は応神天皇が菩薩の形に変わったものであった」として、「八幡神」と「応神天皇」を等号で結びますが、神仏習合以降の発想で創建を語ることは許されません。単純に考えても仏教が日本に伝来する以前の応神天皇が菩薩になることは有り得ません。ただこの説のおかげで、弥勒寺の信仰から外されていた姫神は八幡信仰を受容した神という高い位置づけになりました。真っ正面の神殿を与えられていますので、今や主神の風格です。
 こうして、かろうじて残っていた「八幡神」は消え去りました。名称の上でも「宇佐神宮」と改名して「八幡」の文字を取り去りました。現在、神社の通称「宇佐八幡」に名残を留めるに過ぎません。神社では「全国四万余社の八幡宮の総本山」と称しますが、空しく響きます。

宇佐八幡終わり

写真上:臼杵石仏(山王山如来)
写真下:蓮池より弥勒寺のあった方向を望む