« 酒米の田植えと金刀比羅宮<第二編>【酒蔵便りvol.31】 | メイン | 中国語と日本人 <後編>【中国日記vol.133】 »

中国語と日本人 <前編>【中国日記vol.132】

 日本の最大貿易相手国が米国から中国に代わって3年。中国語はビジネスマンにとって必須の言語になりつつあります。私が早稲田大学法学部に学び始めた1979年は日中国交回復から7年、中国語を第一外国語に選ぶ者は2%、第二外国語で選ぶ者を加えても5%程に過ぎませんでした。それが、今では大学生の半分以上が中国語を学ぶ時代です。私より上の世代の方は「外国語」と言えば英、独、仏語が思い浮かぶはずですが、それは明治以来の百年余りの情況に過ぎません。日本列島の長い歴史に於いて、第一外国語は一貫して中国語だったのです。

1.文明の始まり

 四千年前、黄河文明は黄河中流域に始まりました。最初の王朝は夏、続いて漢字の源(もと)になる文字を発明した商(殷)が興ります。

 漢字からは、文字が出来た頃の商の情況が窺えます。例えば、「宝」の本来の字は「寶」です。これには「玉(ぎょく)」と「貝」が含まれています。玉は神聖で高価な装飾品として用いられ、崑崙山脈の和田(ホータン)からもたらされたと推測されています。貝は通貨として用いられた子安貝のことで、黄河下流域の「人方」という国からもたらされました。黄河文明の国名が一文字であるのに対して「人方」は二文字ですから、中原の言葉を話さない異民族の国と考えられます。黄河文明は非常に限られた狭い地域で始まったのです。

2.文明と中国語の広がり

 紀元前11世紀、商を滅ぼして周王朝が成立します。その周も衰えて紀元前770年に遷都、春秋戦国時代が始まります。この時代、黄河文明が周辺地域に広がって行きます。

 周の諸侯が中原(ちゅうげん:黄河中流域の平原)の回りに自立して国を建て、群雄割拠の時代になったのです。西には秦、北は晋、北東は遼東半島あたりまで燕が支配し、東の山東半島には斉、南の揚子江中流域に楚、南東の下流域には呉といった具合です。国力を高める為には中原の文明を移植し、支配地域の民度を高めなければなりません。支配階級の使う中国語は文字を持つ先進の言語として、国力の充実と共に各地に浸透していきました。

3.水田稲作の始まり

 2003年、千葉県にある国立歴史民俗博物館が行った放射性炭素年代測定の結果、弥生時代の始まりは紀元前10世紀頃である可能性が高まりました。二、三百年の誤差はあり得ると言いますが、何れにせよ周が盛んになり揚子江流域にまで勢力を伸ばし始めた時期、或いは春秋時代に呉という国が力を持ち始めた時期に水田稲作が日本に伝わり、弥生時代が始まったことになります。そうであるなら水田稲作を日本列島に伝えた人々を通じて中国語、そして漢字は日本列島にもたらされたことになります。

4.呉の太伯伝説

 周が商を滅ぼす数十年前、周の王子太伯が、王位継承から外れて揚子江下流域に呉を建国したと言います。安土桃山時代に日本を訪れたキリスト教宣教師が「日本人は呉の太伯の子孫と称している」という記録を残しています。弥生時代から二千数百年もの間、連綿としてこの伝説が受け継がれてきたかどうかは不明ですが、放射性炭素年代測定の結果と符合します。

5.外交の始まり

土器の絵から復元された弥生時代の楼閣(奈良県田原本町の唐古・鍵遺跡) 伝来した漢字の最古の実物は、福岡県志賀島で発見された金印に彫られた「漢委奴國王」です。漢の光武帝から倭奴国王に与えられたのは建武中元2(西暦57)年、弥生時代の日本には既に「国」というまとまりが成立していたのです。

 西暦238年、公孫氏の燕(注)が滅びます。魏・呉・蜀の三国時代と言いますが、実は河北(黄河下流域北東)に勢力を持つ燕を加えた四国時代でした。それまでは朝鮮半島は燕の勢力下にあり、日本にとって一番近い有力国が燕だったのです。すかさず日本から、新しい支配者たる魏に使者が送られました。魏志倭人伝に記された卑弥呼の使いです。

 このように一衣帯水の日本列島と中国大陸の交流は日常的にあり、国際情勢に合わせて国家間の外交交流も頻繁に行われていました。持参する外交文書は中国語で書かれ、使者は通訳を伴っていたはずです。

注:春秋戦国時代の同名の国とは異なります。

6.律令制の時代

 4世紀、日本列島の広い地域を治める国家が誕生します。やがて随、そして唐帝国が成立すると、先進国たる中国の制度を日本に導入することが盛んになりました。7世紀には唐の都長安にならった碁盤目状の巨大な都が奈良盆地の南部に建設され、後に藤原京と呼ばれます。8世紀には盆地の北部に平城京が建設され、唐の律令制度の導入が図られます。

 中国からの最新の情報は中国語でもたらされました。日本の官僚や政治家にとって中国語の素養が必須となっていきます。

次号に続く

写真:土器の絵から復元された弥生時代の楼閣(奈良県田原本町の唐古・鍵遺跡)