第7話 平城遷都と山の神<前編>【アラカン社長の徒然草vol.9】

 家庭で一番エライのは、山の神。古女房には頭が上がりません。刑事コロンボも「うちのカミサン」が口癖でした。この山の神の本質に迫った好著、「山の神」(吉野裕子著)を読みました。

  古代の人々は八岐大蛇(やまたのおろち)の描写に見られるように、うねうねと続く山脈に躍動する蛇の姿を見ました。円錐形の山にとぐろを巻く蛇の姿を見ました。奈良県桜井市東部に円錐形に突き出す三輪山の神は現在は大物主とされていますが、その名の「ミ」、即ち「巳」が示すように本来は蛇でした。大神神社(おおみわじんじゃ)が三輪山自体をご神体と捉えているのはその名残です。

  古来、山の神とは「山を他界とし、そこを領する祖霊として認識され、信仰された蛇神」です。水田稲作が始まる弥生時代、「蛇を野鼠の天敵として尊重し、崇め、稲・田圃・穀倉の守護神として信仰するにいたる」。即ち、豊穣を司る田の神の性格も併せ持つようになりました。

  今年は藤原京から平城京に遷都して千三百年にあたります。藤原京の内裏を囲む大和三山は何れも円錐形で、蛇神である山の神信仰の下にその位置を定めたものと推測できます。一方、平城京はそのような地形とは関係がなさそうです。遷都が行われた理由と背景は何か。吉野氏の助けを借りて、山の神信仰の変化と共に論じます。尚、本話での文章の引用は全て吉野氏の同著からのものです。

1.蛇から猪へ

耳成山を南から望む  ヤマトタケルは伊吹山で山の神により命を落としますが、この山の神の化身が日本書紀では蛇です。一方、同じ場面を描く古事記では猪です。当時、山の神の神格は蛇と猪の二種類あったことが解ります。より古いと考えられる蛇に、なぜ猪が加わったのか。吉野氏は中国から伝わった「易・陰陽五行等による一種の宗教改革の結果」であることを解明します。

  易の八卦(はっけ)の「山」は方位の西北、即ち戌亥(いぬい)を意味します。亥、即ち猪は方位を介して山と結びつけられました。又、易の消長卦(しょうちょうけ)の亥は全陰を意味します。全陰は全陽に対する概念で男女で言えば女です。これが女房を「山の神」と呼ぶ根拠となりました。

香具山を西から望む 日本の山の神は「山を他界とし、そこを領する祖霊として認識され、信仰された蛇神」。「中国の神霊化の山の神とは、名称は同一ながら全然異質の神である。」

  中国思想の観念的な「山」と方位を示す「亥」を結びつけて造られた猪をシンボルとする山の神は、更に一年12ヶ月の亥の月(10月)と結びつけて五穀豊穣の神、田の神とされました。蛇をシンボルとする日本の山の神は、五穀豊穣という現実的な生活上の利益の共通性によって中国思想で新しく造られた山の神に取って代わられます。

  蛇信仰は影を潜めました。ただ、他界を領する祖霊としての山の神は、葬送の列の先頭の蛇や龍の飾りとして残りました。又、シメ縄や祭りの藁蛇、案山子(かかし。「カカ」は蛇の古語)は田の神としての蛇信仰の名残です。正月の鏡餅は「カカミ」、とぐろを巻く蛇の姿を表しています。神社本殿に通例祭られる鏡も「カカミ」、蛇神の象徴と考えられます。吉野氏は、カミ(神)という日本語も、「カ」は蛇、「ミ」は身、即ち蛇の姿から来たと推測しています。

2.中国の山の神

畝傍山を東から望む  二月に山の神を祭り、或いは田の神を迎え、十月に田の神を送り、山の神を祭るといった風習が日本各地に残っています。「山の神は、春、田に降りて田の神となり、秋には山に入って、山の神となる。その輪廻の節となる時点は、二月と十月の組み合わせが一番多い。」なぜ二月と十月か、吉野氏は三合の理で説明できるとしています。

  十二支を旧暦の月に当てはめますと、寅(1月)、卯(2月)、辰(3月)、巳(4月)、午(5月)、未(6月)、申(7月)、酉(8月)、戌(9月)、亥(10月)、子(11月)、丑(12月)になります。

  「中国哲学の最大の特徴の一つは、この世のすべてのもの、すなわち有形無形を問わず一切のものを木火土金水の五気のいずれかに還元することである。」

  五行という考え方で、春は木気です。寅卯辰、1月から3月。夏は火気です。巳午未、4月から6月。秋は金気です。申酉戌、7月から9月。冬は水気。亥子丑、10月から12月です。

 亥は10月で水気ですが、以下に説明する三合の理によって木気になります。この三合の理を理解する為に、これら月を時計の文字盤状に円の外周に割り振って頭に思い浮かべて下さい。

  各季節には始まりがあり(生)、盛んになり(旺)、衰えて(墓)、次の季節になります。例えば春の木気。寅(1月)に始まり、卯(2月)に盛んになり、辰(3月)に気が衰えます。この生・旺・墓は、一つの季節の中だけでなく一年のサイクルの中にもあると考えます。木気が一番盛んなのは卯(2月)ですが、その4ヶ月前の亥(10月)に始まり(生)、最も盛んな(旺)卯(2月)を経て、4ヶ月後の未(6月)に衰え(墓)ます。これらを結べば正三角形になります。これで亥(10月)も未(6月)も木気になります。この関係が三合の理です。

  「木気の正位の「卯」は元来、「茂」で、草を意味し、植物全体を包含するので、樹木はもちろん、稲・麦・粟などの五穀もすべて木気の範疇に入る。したがって、亥としての山の神は、十月・二月の両度に祭られるときには、木気に変じ、当然、田の神・作物の神となるわけである。」

3.三合の完成

  三合は、生・旺・墓で完成します。亥(10月)は生、卯(2月)は旺ですから、未(6月)に墓の行事もあるはずです。それが農村で行われてきたサノボリと呼ばれる行事です。 「卯月の「卯」は「茂」で、草を意味し、サノカミとされる。」即ち、五穀豊穣をもたらす「サ」の神、即ち田の神が天に昇るのを人々が送る行事です。

  「サノボリは未月で三合木局の墓気であり、当然、稲の神の神送りである。呪術上の神送りであるから現実の稲作の行事とは何の関係もない。サノボリの旧六月も田植の時期とはズレてはいるが、ややそれに近いために、田植後の祭りと誤認され、六月を繰り上げて田植の終わった頃に行われている地域が多いようである。しかし呪術であるサノボリは旧六月(未月)に行われることがその重大ポイントで、その未月を踏まえて行わなければ無意味であり、呪術的に無効なのであるが、淡路島仁井村をはじめ各地で旧六月にサノボリが行われているのは、呪術が根強く生きている証拠である。」

前編終わり

写真上:耳成山を南から望む
写真中:香具山を西から望む
写真下:畝傍山を東から望む

2010年4月
中谷酒造(株)代表取締役  中谷正人