第14話 戦前の昭和 【アラカン社長の徒然草vol.21】

 NHKの連続テレビ小説「おひさま」が話題です。視聴率もそこそこあるようで、私の知人の中にも欠かさず見ている人が居ます。
 主人公の女性は昭和7年、小学校4年生の時に安曇野に引っ越してきます。女学校を出て、小学校の教師になります。物語の最後は蕎麦屋になるという話だそうです。
 私は時々見るのですが、ドラマの時代考証が腑に落ちません。どんな人が脚本を書いているのかと調べて見ますと岡田惠和という1959年2月生まれの男性です。私と同年配ですから戦前のことは後に学んだのでしょう。しかし、私が知っている内容とはだいぶ異なります。この機会に戦前の昭和を振り返ってみましょう。

1.昭和7年に製糸工場技師の仕事はあったか

木製の為、供出を免れたポンプ 主人公の父は昭和7年に家族を連れて長野県安曇野に引っ越し、製糸工場で技師として働き始めます。

 昭和は不況下に幕を開けます。先ずは大正12(1923)年9月1日、関東大震災から始めましょう。
 地震発生は昼食時でしたので家庭では火を使っており、火災が発生。折からの強風に煽られ被災地は火の海になりました。死者、不明者10万人以上。首都東京は壊滅的な打撃を受けました。
 甚大な損害を抱えた企業も多数にのぼり、政府は連鎖倒産を避ける為に被災地域の企業が振り出した手形を日銀が再割引(買い取り)したのです。企業はこれにより資金を得て命拾いしましたが、実際には第一次世界大戦終結(1918年)に伴う不況により企業体力が落ちていたこともあり、手形を決済するだけの支払能力がない多数の企業を延命しているような情況が続いていました。

 昭和2(1927)年、中小銀行の経営状態に不安が出ていたところ、預金を引き出そうと取り付け騒ぎが起き、やがて総合商社の鈴木商店が倒産、台湾銀行が休業に追い込まれます。台湾銀行は、日本の国策会社で台湾の中央銀行です。日本の不況は厳しさを増します。中谷酒造はこの時に破綻の危機を迎えますが、何とか乗り切ることができました。

 昭和4(1929)年10月24日、米国ウォール街で株価が大暴落。世界恐慌が始まります。生糸は農家の養蚕によりマユが作られ、製糸工場で製品となり、その多くが米国に輸出されていました。生糸輸出は激減。翌昭和5年6月には生糸相場が暴落します。幾つもの製糸会社が倒産しました。農村では収入が激減、窮乏者が続出します。
 浜口雄幸内閣は同年1月に金解禁を行いました。無理な円高レートで開始した為、円(金)を売ってドルを買う動きが急激に進み、日本の金が流出して日本経済は大混乱します。
 安曇野は畑作地帯で主食は蕎麦でした。昭和6(1931)年は冷夏でしたが蕎麦は強く、安曇野の農民は餓死を免れました。
 そして昭和7年秋、主人公の父は安曇野に引っ越してきます。製糸工場に技師の職があったとすれば奇跡的な事のように思えます。おまけに父は製糸には全くの素人です。

2.父は息子を予科練に行かせたか

使用頻度が高い為、供出を免れた鉄鍋と鉄かまど 主人公の次兄は予科練を志望し、父は進学を許します。

 戦前の日本は貧富の差が大きい格差社会でした。太平洋戦争後、マッカーサーの占領政策で農地解放が施行され、小作農民が自作農になり、基本的に農村の貧困が解消されました。農村の長男は農家を継ぎ、次男以下は都市のサラリーマンとなって高度経済成長の波に乗り中間層を形成しました。やがて「一億総中流」などという言葉が生まれるほど皆が豊かになり、日本は共産主義が目標とする平等な理想社会を実現したと言われたものです。

 戦前は人口の大きな比率を占めた農村は階層が明確で、地主、自作農、小作人とはっきり分かれていました。都市部でも持てる者と持たざる者の差は明確でした。明治から大正にかけての産業革命と高度経済成長で農村から都市に労働力として流入する者が多く、また起業して成功する者、自営業を営む者など都市部の中間層も厚みを増していましたが、労働者、ホワイトカラー、自営業者、資本家の経済力による階層は明確に意識されていました。又、貴族制度もあり、厳然たる身分差も存在していました。私の知人には高齢者も多く、戦前育った階層を意識して話をされることが多々あり、それを実感しています。

 軍隊では、将校(士官)、下士官、兵の身分差は極めて厳格です。それは戦前のみならず戦後も共通するもので、軍隊の特性から来ています。
 予科練とは、海軍飛行予科練習生のことです。ドラマの中では、主人公の次兄が中学卒業後に志願しますので、1937年4月に第一期生が入学する甲種飛行予科練習生に違いありません。軍の身分で言えば下士官です。
 主人公の父は技師であり、おそらく高学歴。知識人で、定職もあります。そのような家庭では子息を軍人にすることは希でした。仮に軍人にするとしても士官学校に入れて、将校として勤務させるはずです。海軍なら海軍兵学校です。この学校は「兵」という文字が入っていますが、中学の後に進学する海軍士官養成学校です。

 日中戦争が始まる前ですから、国の為に戦うという正義感から進む道でもなさそうです。下士官という身分での海軍勤務。しかも危険性の高いパイロット。戦前は、父が家長として子どもの進路の決定権を持つのが普通でした。父がそのような選択を認めるのは珍しいことと言わねばなりません。

3.先輩教師は教え子が戦争に行くことを予想もしなかったか

空襲を避ける為にまだらに塗られた白壁 主人公が働く小学校の先輩教師が、教え子が徴兵されて出征していく時に、「教え子が戦争に行くなんて思いもよらなかった」と涙ぐむシーンがありました。

 第一次世界大戦は欧州が主戦場でした。日本は、戦場となった欧州に代わって工業製品を輸出し、空前の好景気に沸きました。日本の産業革命は一気に進展しました。
 大正7(1918)年に大戦が終結するとその反動で不景気がやって来ました。関東大震災を経て昭和は不況の中に始まりました。昭和金融恐慌、世界恐慌を経て、農村は困窮し、東北地方では昭和6(1931)年の凶作で多くの餓死者を出しました。昭和9(1934)年の東北冷害では餓死者もさることながら、家族が食っていく為に親は娘を水商売に売りました。その数は何万人にも及びました。
 安曇野は豊かな土地ではありません。蕎麦を食って生き延びたとしても多くの人口を養うことはできません。山崎豊子原作「大地の子」というテレビドラマが一時話題になりましたが、長野県の開拓農民が主人公です。昭和7(1932)年の満州国建国以降、日本政府は満蒙開拓団として全国から貧しい農民の移住を促進したのです。

 農村では、都市に働きに行こうにも不況で職がありません。長男以外の男子にとって職業軍人になることはごく普通の選択肢でした。徴兵されずとも教え子の中にはけっこうな数の職業軍人がいたはずです。

4.自転車を供出したか

 主人公は、女学校進学に合わせて父に買ってもらった通学用の自転車を供出します。

 昭和16(1941)年に始まる太平洋戦争中は金属の輸入が止まりました。武器を作る金属が不足し、家庭で使わない鍋釜などの道具類、金属製の装飾品の類を無償で供出したのです。私が子どもの頃まで、戦時中に供出する時に撮影した金属製品の写真が家に飾ってありました。

 戦前はクルマ社会ではありません。自転車は高価であり、貴重な移動手段でした。数年前まで乗っていた使用可能な自転車を供出するはずはありませんし、そもそも供出の対象にはなっていません。供出したとしてもそれを分解して、金属として溶かして武器を作るということは考えにくく、公共の施設でそのまま自転車として利用されたことでしょう。

第14話終わり

写真上:木製の為、供出を免れたポンプ
写真中:使用頻度が高い為、供出を免れた鉄鍋と鉄かまど
写真下:空襲を避ける為にまだらに塗られた白壁

2011年5月
  中谷酒造(株)代表取締役  中谷正人