第64話 旧暦の正月【アラカン社長の徒然草vol.78】

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 明治6年に太陽暦が導入されるまで、新年の始まりは当然のことながら旧暦(太陰暦。閏月を設けて季節調整を行うので正確には太陰太陽暦)の元日でした。しかし庶民にとっての大晦日は節分。正月の始まりは翌日の立春でした(第54話 節分と年越し鰯)。明治以前と現代の正月を対比してみましょう。

1.元日

どうがん(中谷家の門) 太陰暦では新月から満月を経て次の新月の前日までが「月」です。毎月1日は新月で、15日は必ず満月です。武家や貴族にとって旧暦の正月の祝いは、新年の始まりの日、即ち1月1日から新年最初の満月を迎える15日まででした。この習慣は、暦と共に中国からもたらされたものです。
 武家では門松を立て、登城して藩主に挨拶すると共に新年を祝いました。最終日である満月の15日には元服の儀を行いましたので、昭和23年(1948)に1月15日を成人の日と定めました。
 因みに武家では正月飾りは門松ですが、庶民の家では違うものでした。中谷家のある奈良県北部では「どうがん」(どうがい)と呼ばれる1本の竹と藁で作った飾りです。

どうがい記事(春日大社「春日」第89号) どうがい記事(春日大社「春日」第89号)

2.小正月

 小正月(こしょうがつ)とは、旧暦1月15日満月の日のことで、正月の祝いはこの日まで。旧暦の1月は二十四節気(にじゅうしせっき)の雨水(うすい。太陽歴2月19日頃)が含まれる「月」と決められていますので小正月は必ず立春の後になります。庶民は立春から小正月までを新年の祝い期間としました。二十四節気については、「4.節分」で述べます。
 昭和42年刊の講談社現代実用辞典で「小正月」を引きますと、「陰暦十四・十五・十六日の称。二番正月。」。旧暦時代の庶民は立春からの三が日並みに三日間祝いました。2016年は2月8日が新月で元日。22日が十五夜満月。今年にあてはめれば旧暦の庶民は2月4日立春から23日までたっぷり正月気分を味わったはずです。ただ早い年では2月5日頃に満月が来ますので正月三が日と小正月が重なってしまう年もあれば、ひと月あいて間延びしてしまう年もありました。
 電灯のない時代、夜の明かりは月に頼りました。日が短い冬において、月夜の明るさは有り難く、とりわけ新年最初の満月は貴ぶべきものでした。正月を太陽暦で祝うようになれば月の運行と関係なく元日が決まります。新年最初の満月の意義が低下し、電灯の普及が追い打ちを掛けました。祝うのをやめたり、或いはその日が各地でばらばらになってしまいました。中谷家のある大和郡山市番条町では太陽暦の2月1日を小正月としています。私の子供の頃までは餅をついて雑煮を食べました。

3.七草粥

年越し鰯 現代の1月7日は七草粥を食べる日。一年の無病息災を願って食べるとも、正月の暴飲暴食で疲れた胃腸を休める為ともいいます。大正、昭和の調査によれば北は北海道から南は沖縄まで、太陽暦の1月7日に七草粥、もしくはこれに準じたものを食べています。太陽暦導入後、明治政府によって作られた官製習慣の臭いがします。江戸時代までは旧暦の1月7日、貴族や武家など限られた人々の範囲で行われていただけかもしれません。
 胃を休めるという意味では、中谷家では1月2日の朝食は餅を入れた小豆粥と決まっています。旧暦の時代であれば立春の翌日の朝だったのでしょう。

4.節分

鏡餅(中谷酒造・店の間) 農業を行う場合、太陽の動きに従って季節が変わりますので旧暦の「月」で種まきや収穫時期を決める訳には行きません。そこで太陽の動きに合わせたもう一つの指標として二十四節気が考えられました。立春は二十四節気の一つ。立春は我々が今日使う太陽歴では毎年2月4日頃と決まっています。立春から季節は春に変わります。節が変わるということでその前日を節分とします。
 節分は、庶民にとっての大晦日。その夜はご馳走の年越し鰯を食べ、酒を飲んでお祝いです。昔は数え年ですから翌日は新年を迎え一歳年を取ります。そこで年齢の数より一つ多い豆を食べます。柊(ひいらぎ)の枝を家の入口に挿し、豆を播いて鬼を追い払います。翌日は鰯の頭を前日に挿した柊の枝に付け、邪気の侵入を防ぎます。
中国の正月飾り(天津市内料理店) 新年を迎えるにあたって邪気を払うという習慣も中国からもたらされたものです。中国なら縁起の良い言葉を書いた赤い紙を門に貼り、爆竹を鳴らすところです。赤は魔除けの色です。

5.お節料理

 冬から春に節が変わるので正月を祝う料理をお節料理と言います。昔はどのようなものを食べていたのでしょう。筆者の母が昭和51年の状況を書いた「我が家の年中行事とその食べもの」が参考になります。
 一の重:中央に黒豆、四隅に梅干、にんじんの輪切り、くわい、こんにゃく
 二の重:「ハリハリごぼうのみを中央に盛る。(細めのごぼうを8センチほどに切り揃えてゆがき、ゴマ醤油で和える)」(引用者注:「8センチほど」は誤り。6センチ余り。)
 三の重:「ごまめのみ。」
 四の重:「数の子のみりん醤油漬け。」
 以上が四重の中身です。これ以外に二重、別にあります。「特別変わった物はありませんが、料理講習会で教わった物を加えたり、毎年何か新しいものを心がけています。ご参考までに昨年の料理を思い出して書いてみましょう。ハム・ぼうだら・昆布巻き・竹の子・高野豆腐・椎茸・にんじん・結びこんにゃく・いか・錦なます・梅花卵・菊花みかん・いいだこ・ぶりの焼もの・煮ごぼう・蓮などでした。」時代と共に豊富になっていったことが解ります。
2016年の四重と棒鱈の煮物(中谷家) 現在、中谷家では土居勝さん(1921-1995)の料理本を参考に四重を作ります。一の重は、口取りと言って黒豆、ごまめ、数の子、紅白かまぼこなど。二の重は酢の物。三の重は焼き物、四の重は煮物です。

第65話終わり

写真1:どうがん(中谷家の門)
写真2:どうがい記事(春日大社「春日」第89号)
写真3:年越し鰯
写真4:鏡餅(中谷酒造・店の間)
写真5:中国の正月飾り(天津市内料理店)
写真6:2016年の四重と棒鱈の煮物(中谷家)

2016年3月
  中谷酒造(株)代表取締役  中谷正人