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    <title>中谷酒造株式会社</title>
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    <title>死んだはずだよおトミさん・後編 【アラカン社長の徒然草 第２話】</title>
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    <published>2009-09-03T15:00:01Z</published>
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    <summary>６．藤原勃興の謎 　私は、かつて中臣氏の祖先を名門息長（おきなが）氏ではないかと...</summary>
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        <![CDATA[<strong>６．藤原勃興の謎</strong>

<a href="http://www.sake-asaka.co.jp/photo_arakan/002_01.jpg" target="_blank"><img src="http://www.sake-asaka.co.jp/photo_arakan/002_01s.jpg" border="0" hspace="5" align="right" alt="枚岡神社一の鳥居"></a>　私は、かつて中臣氏の祖先を名門息長（おきなが）氏ではないかと推測したことがあります。息長氏は、現天皇家に繋がる６世紀の継体天皇以降、濃厚に天皇家の血筋に関与する家柄ですが、藤原家勃興と共に姿を消しています。

　死の床で天智天皇より藤原の姓を賜った鎌足。その子藤原不比等が天武天皇の皇后を自宅に住まわせて即位させ（持統天皇）、奈良盆地南部に建設した新都の名に「藤原」を冠し、文武天皇に自分の娘を嫁がせ、生まれた子にも娘を嫁がせて即位させる（聖武天皇）など普通では考えられない成り上がりは余りに不自然です。しかし、中臣氏が神武東征で敗れたトミ王家の後裔であったとすれば景色が変わってきます。

<strong>７．国譲りと神武東征</strong>

<a href="http://www.sake-asaka.co.jp/photo_arakan/002_02.jpg" target="_blank"><img src="http://www.sake-asaka.co.jp/photo_arakan/002_02s.jpg" border="0" hspace="5" align="left" alt="枚岡神社本殿"></a>　古事記、日本書紀で描かれた神話では、日本を指す「葦原中国」（あしはらなかつくに）の中心は出雲で、その王である大国主（おおくにぬし）の統治範囲が拡がり、大和国の御諸山（みもろやま。三輪山のこと）で祭祀を行うまでになります。大国主は、高天原（たかまがはら。天上の神の国）の太陽神アマテラスが派遣したタケミカヅチ（日本書紀ではフツヌシが加わる）に敗れ、国を譲ります。これを国譲り神話と言います。

　一方、近畿式銅鐸の生産地と分布から、二世紀から三世紀にかけて島根県から近畿地方に至る文化、経済のまとまりが見えてきます。そして三世紀後半に弥生時代が終わり、古墳時代が始まります。

　そうすると、弥生時代の終わりをもたらした神武東征と国譲り神話は、征服者の神の同一性（太陽神アマテラス）、被征服者の地域性（出雲から近畿）の点で重なって見えてくるではありませんか。古事記・日本書紀は、神武東征の前に、史実を参考にした神話を置くことで現実と神話を融合させることを意図したのです。神話では、国を譲った大国主は出雲に神殿を建ててもらって引退します。それが現に存在する出雲大社という訳です。

<strong>８．大国主と大物主</strong>

<a href="http://www.sake-asaka.co.jp/photo_arakan/002_03.jpg" target="_blank"><img src="http://www.sake-asaka.co.jp/photo_arakan/002_03s.jpg" border="0" hspace="5" align="right" alt="三輪山と大神（おおみわ）神社大鳥居"></a>　登美ナガスネヒコが治めた国と大国主が治めた神話上の葦原中国の本拠地・出雲の関係は地名に残ります。先ず、枚岡神社一帯の地名は出雲井です。更に、奈良県桜井市三輪山の麓には出雲庄があります。ここにトミ王族を残し、ニギハヤヒを祀らせたのでしょう。その祭祀は太陽信仰の共通性からアマテラスと重ねられたはずです。もとより三輪はその名が示すように巳（み）即ち蛇が、輪（わ）を巻いている円錐形から、山の神とその化身である蛇を祀る聖なる山でもありました。この出雲庄が中臣の拠点となり、後の世まで名家として生き延びることができたのです。

　ニギハヤヒに内在した太陽信仰は、神武の持ち込んだ太陽神アマテラスに吸収され、三輪山麓の桧原神社を経て天武天皇の時代（７世紀後半）に伊勢に祀られることになりました。ニギハヤヒの太陽信仰を除く多様な要素は大物主（おおものぬし）として三輪に残りました。出雲の大国主と三輪の大物主は同じ神とされています。

　以上を表にすると次のようになります。

　　　　　　　国譲り神話　　　　　　　３世紀後半
========================================================== 
征服者　　　：タケミカヅチとフツヌシ：神武天皇
征服者の神　：アマテラス　　　　　　：アマテラス
被征服者　　：大国主　　　　　　　　：登美ナガスネヒコ
被征服者の神：大国主　　　　　　　　：ニギハヤヒ→大物主＝大国主
祀る場所　　：出雲　　　　　　　　　：日下(出雲井)→三輪(出雲庄)

<strong>９．最後の謎</strong>

　中臣氏がトミ王家の後裔であるとすれば、一つ疑問が残ります。藤原氏の氏神を祀る春日大社にかつて葦原中国（あしはらなかつくに）、即ち神話の中で語られた自分たちの国のことですが、それを征服したタケミカヅチとフツヌシを祀ったことです。この両神は枚岡神社にも祀りました。この疑問を解く鍵は、藤原不比等にありそうです。

　不比等は、天智天皇の子であったという説があります。天智はその妃鏡姫王を中臣鎌足に下賜し、鎌足は正妻とします。鏡姫王は既に天智の子を孕んでおり、それを知った上で下賜したのです。果たして天智の死後、壬申の乱で天智の子である大友皇子は自決、天武の時代になります。天武に気付かれず子は無事成長し藤原不比等と名乗ります。天智は忠臣中臣鎌足を使って自分の血を残すことに成功したのです。

　天武が亡くなるなり藤原不比等が日本のキングメーカーになります。中臣氏が天智天皇の子・不比等を当主に据えることで中臣氏と天皇家が合体し、生まれたのが藤原氏ということになります。そうとすれば、藤原氏が初代天皇神武と重なるタケミカヅチとフツヌシを春日大社に祀ることに違和感はなくなります。即ち藤原氏の氏神の社（やしろ）である春日は、中臣の始祖神アメノコヤネと、征服王である初代天皇を意味するタケミカヅチとフツヌシを祀ることによって、中臣氏と天皇家の合体を象徴する存在なのです。

　「死んだはずだよ　おトミさん」。ところがどっこい中臣、そして藤原の名で生き続けていたのです。歌手の姓が藤原氏の氏神を祀る「春日」と合致するのも妙な偶然です。ただ事実は歴史の闇の中です。

<div align="right">終わり</div>

写真上：枚岡神社一の鳥居
写真中：枚岡神社本殿
写真下：三輪山と大神（おおみわ）神社大鳥居

<strong>あとがき</strong>

　谷川彰英著「大阪「駅名」の謎」（祥伝社黄金文庫）を近鉄百貨店の書籍売り場で手にとったことから始まりました。電車の中で、「第一章　大阪は「日本」のルーツだった」を読んで私の思索は始まりました。

　キーワードは、太陽信仰を暗示する「日下」（くさか）の地名です。古事記・日本書紀は、神武が九州から船団を組んでヤマト征服を目指し、ここに上陸したと記しています。神武に立ち向かった登美ナガスネヒコ一族が信仰したニギハヤヒ神と地名の「日」が関連しているというのです。

　日下のすぐ南には枚岡神社があり、中臣氏の始祖神アメノコヤネを祀ります。中臣（ナカトミ）の「トミ」と登美ナガスネヒコの「トミ」の共通性に気付いた時、私の中でひらめくものがありました。

　関係する場所は、中谷酒造のある郡山から西に見える生駒山の周辺です。まず富雄川を北に遡り、ニギハヤヒ降臨の磐船神社に至ります。生駒山北麓をまわって生駒山の西側の日下、枚岡神社を経て南下。大和川に至ると東に転じ、生駒山の南麓を越えて竜田に至り郡山に戻る生駒山周回コースを車で回りました。

　枚岡神社が「出雲井」にあること、境内に古い井戸跡があることも解りました。出雲神話と現実の歴史が繋がり、像を結びました。

　書き上がったものは、矛盾無く全てを包み込む推論に仕上がりました。楽しんでいただけたことと思います。今後も、時々歴史を題材に書いて行きます。

<div align="right">この号終わり</div>

２００９年９月
中谷酒造（株）代表取締役　　中谷正人]]>
        
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    <title>山田錦の出穂【酒蔵便りvol.58】</title>
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    <updated>2009-09-04T03:55:05Z</updated>
    
    <summary>＜蔵の様子＞　山田錦の出穂 　８月３１日、台風の影響で曇りがちの天候でしたが、ほ...</summary>
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        <name>M. Nakatani</name>
        
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        <![CDATA[<strong>＜蔵の様子＞　山田錦の出穂</strong>

<a href="http://sake-asaka.co.jp/photo_sakagura/058_01.jpg" target="_blank"><img src="http://sake-asaka.co.jp/photo_sakagura/058_01s.jpg" border="0" hspace="5" align="right" alt="秋晴れの水田"></a>　８月３１日、台風の影響で曇りがちの天候でしたが、ほぼ一斉に稲穂が伸び始めました。翌９月１日は快晴。稲穂は天を指し、白いおしべがはらりはらりとこぼれるように穂を飾ります。

　長引いた梅雨の後、例年より早く朝夕が涼しくなりました。寒暖の差が大きいほど山田錦はよく稔ります。秋晴れが続いて欲しいものです。

<a href="http://sake-asaka.co.jp/photo_sakagura/058_02.jpg" target="_blank"><img src="http://sake-asaka.co.jp/photo_sakagura/058_02s.jpg" border="0" hspace="5" align="left" alt="出穂した稲の花"></a>　酒蔵では、秋の出荷に向けて瓶詰め作業が目白押しです。１０月からは酒造りが始まりますので、前倒しで瓶詰をしておきます。

　大正蔵の瓦の葺き替えも間もなく終了。酒造りの準備もそろそろ始まります。

写真上：秋晴れの水田
写真下：出穂した稲の花

２００９年９月
中谷酒造（株）代表取締役　　中谷正人]]>
        
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    <title>死んだはずだよおトミさん・前編 【アラカン社長の徒然草 第１話】</title>
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    <published>2009-08-06T15:00:01Z</published>
    <updated>2009-08-06T02:38:48Z</updated>
    
    <summary>　粋な黒塀　見越しの松に　仇な姿の洗い髪　 　死んだ筈だよ　お富さん　 　生きて...</summary>
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        <name>M. Nakatani</name>
        
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        <![CDATA[　粋な黒塀　見越しの松に　仇な姿の洗い髪　
　死んだ筈だよ　お富さん　
　生きていたとは　お釈迦さまでも　知らぬ仏の　お富さん
　エーサオー　玄治店

　春日八郎が歌った「お富さん」は、昭和29（1954）年に発売され空前の大ヒット。昭和40年代になっても「のど自慢」で歌う人が多く、中高年には馴染みの深い歌です。歌詞は、歌舞伎「与話情浮名横櫛」（よはなさけうきなのよこぐし）が題材です。

　小間物問屋の若旦那がヤクザの親分の妾お富と道ならぬ恋に落ち、それが発覚して簀巻きにされて海へドボン。お富も海に身を投げます。若旦那はかろうじて生き延びたのですが、流れ者になります。三年後、盗みに入った家でお富と奇跡の再会をします。このシーンを歌ったものです。若旦那もタフですが、おトミも大したもんやったんですね。

<strong>１．神武東征</strong>

　古事記では、九州からヤマトを目指した神武（じんむ）の船団は、浪速を超えて最初に白方（しらかた）の津に至り、そして日下（くさか）の蓼津（たでつ）で船から盾を取りだし戦闘になります。日本書紀は、草香邑（くさかむら）の白方の津に着き、生駒山越えで奈良盆地西端の竜田（たつた）を目指したが道が険しく、その途中でクサエ坂の戦いになります。

<strong>２．上陸地</strong>

<a href="http://www.sake-asaka.co.jp/photo_arakan/001_01.jpg" target="_blank"><img src="http://www.sake-asaka.co.jp/photo_arakan/001_01s.jpg" border="0" hspace="5" align="right" alt="天の磐船大岩（磐船神社）"></a>　日本書紀は、神武を初代天皇とすると共に第十代崇神（すじん）もハツクニシラス、即ち初めてヤマトを治めたとしています。「日本」を古く見せる為の工夫の一つで、東征過程を神武の名で書き、架空の８代を挟んで、統治開始を崇神の名で書いています。

　東征の時期は、ヤマトの桜井市付近に前方後円墳が出現して弥生時代が終わる直前のはずですから３世紀後半のことです。今日、大阪平野と呼ばれる大阪府中央部は、大和川水系と淀川水系の河川水が注ぎ込み、河内湖（かわちこ）という大きな湖を形成していました。湖から大阪湾への水の出口に南から突き出していた半島が現在の上町台地（うえまちだいち）。その北端が浪速（なにわ）です。

　先ず上陸を目指した白方の津は、現在の枚方（ひらかた）市にあった淀川下流域左岸の平潟のことでしょう。主力が上陸するのは、河内湖東岸の日下という比較的大きな集落の港・蓼津です。日下は東大阪市日下町周辺。蓼津は、盾津（たてつ）。昭和の町村合併で地名は消えましたが、東大阪市鴻池新田のあたり。日下町のすぐ西です。

<strong>３．おトミさん</strong>

<a href="http://www.sake-asaka.co.jp/photo_arakan/001_02.jpg" target="_blank"><img src="http://www.sake-asaka.co.jp/photo_arakan/001_02s.jpg" border="0" hspace="5" align="left" alt="近鉄富雄駅高架"></a>　船団が最初に枚方を目指したのには理由があります。神武に侵略される側が祀るニギハヤヒ神の聖地が近かったのです。

　神武を迎え撃ったのは、登美ナガスネヒコ。トミは、富雄、富雄川、登美ヶ丘のトミであり、奈良市西部に地名が残ります。その人々が神として祀ったのがニギハヤヒです。枚方から南に天の川を10キロほど遡ったところにニギハヤヒが天から岩の船に乗って降り立ったとされる磐船（いわふね）の聖地があるのです。今日、交野市私市（かたのしきさいち）の磐船神社には巨大な岩が祀られています。そこから緩やかな岡を越えれば富雄川の流域になり、ヤマトの平野（奈良盆地）北西部に入ります。枚方から富雄までは15キロの道のりに過ぎません。

<a href="http://www.sake-asaka.co.jp/photo_arakan/001_03.jpg" target="_blank"><img src="http://www.sake-asaka.co.jp/photo_arakan/001_03s.jpg" border="0" hspace="5" align="right" alt="竜田川（竜田大橋の東）"></a>　日本書紀によれば上陸した軍団は山越えで竜田を目指します。竜田は奈良県生駒郡斑鳩町（いかるがちょう）に地名が残ります。奈良盆地の西の端、大和川に富雄川が合流する地点のすぐ西側です。「ちはやぶる　神世もきかず　竜田川　唐紅に　水くくるとは」（在原業平）。今日に至るまで紅葉の景勝地として有名です。

<strong>４．太陽信仰</strong>

　日本書紀によれば、ニギハヤヒは太陽神アマテラスから十種の神宝を与えられ交野に降り立ちます。ニギハヤヒ信仰は、太陽信仰を含んでいました。それは登美ナガスネヒコの主要拠点と思われ、戦場に近い「日下」（くさか）の地名からもうかがえます。古事記は「日下」ですが、日本書紀では「草香」としています。「日下」を「クサカ」と読むのは、「飛ぶ鳥の明日香」から「飛鳥」（あすか）という読みが生まれたように、「日の下（ひのもと）の草香」から生まれたと推測されます。

　戦いに敗れた神武の船団は紀伊半島南部に至り、熊野に上陸。吉野を超えて南からヤマトに入ります。トミ一族は、神武が太陽神アマテラスの子孫であることを知り、服従します。

<strong>５．枚岡神社</strong>

　日下町三丁目交差点から南に2キロ半、枚岡（ひらおか）神社の一の鳥居があります。枚岡神社が祀るアメノコヤネは、太陽神アマテラスが天岩戸（あまのいわと）に隠れた時、祝詞（のりと）を読んだとされる中臣氏の始祖神です。太陽の復活を祈る者、即ち太陽神の祭祀を執り行っていた家系が中臣氏だったというのです。奈良時代、藤原氏が春日大社を造るにあたってこのアメノコヤネを春日大社に分祀します。このことから藤原氏の祖先の中臣氏と枚岡の深い関係が指摘されてきました。

　ここで気が付くのが、「中臣」を「ナカトミ」と読むことです。「臣」は「オミ」であり「トミ」ではありません。「臣」が「トミ」であるならば、元々ここにはニギハヤヒ信仰の拠点があったと考えることが可能になります。トミ一族が征服された後は太陽神をニギハヤヒの名称で祀り続けることははばかられます。そこで、その祭祀を行っていたトミ王家の氏神アメノコヤネに置き換えることで擬似的なニギハヤヒの祭祀を継続できたと考えても違和感はありません。中臣は、トミ王家の後裔と考えても良さそうです。

　尚、近くにヒギハヤヒそのものを祀る石切神社がありますが、こちらの成立は時代が下るように思えます。

<div align="right">前編終わり</div>

写真上：天の磐船大岩（磐船神社）
写真中：近鉄富雄駅高架
写真下：竜田川（竜田大橋の東）

<img src="http://www.sake-asaka.co.jp/photo_arakan/001_04.gif" border="0" alt="関係略図">

<div align="right">この号終わり</div>]]>
        
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    <title>梅雨と山田錦の成長【酒蔵便りvol.57】</title>
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    <published>2009-08-06T15:00:00Z</published>
    <updated>2009-08-06T02:38:04Z</updated>
    
    <summary>＜蔵の様子＞　山田錦の成長 　田植えから一ヶ月半。稲の丈は約６０センチ。まわりの...</summary>
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        <![CDATA[<strong>＜蔵の様子＞　山田錦の成長</strong>

<a href="http://sake-asaka.co.jp/photo_sakagura/057_01.jpg" target="_blank"><img src="http://sake-asaka.co.jp/photo_sakagura/057_01s.jpg" border="0" hspace="5" align="right" alt="梅雨空の下、たくましく成長する山田錦"></a>　田植えから一ヶ月半。稲の丈は約６０センチ。まわりの水田で栽培されている食用米の背丈に追いついてきました。

　今年の梅雨は長引きました。例年ならば用水路から水田に水を補給するところ、全く手間いらず。曇り空が続き日照時間も短いのでしょうが、稲の生育を妨げるほどではありません。順調に育っています。

　朝の内は晴れていたのですが、こうして文章を書いている間にも雷がなり、激しい雨が降り始めました。

　今年は日蝕がありました。曇天で観測には不向きでしたが、雲間を通して欠けた太陽を見ることができました。日蝕のある年は、気候不順という例も多いようですが、そんなことにならないように、祈るばかりです。

写真：梅雨空の下、たくましく成長する山田錦

２００９年８月
中谷酒造（株）代表取締役　　中谷正人]]>
        
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    <title>山田錦の田植えと奈良漬の漬け方【酒蔵便りvol.56】</title>
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    <published>2009-07-02T15:00:01Z</published>
    <updated>2009-08-21T05:37:03Z</updated>
    
    <summary>＜奈良漬の漬け方＞ 　砂糖や焼酎を加える方法もありますが、ここにご紹介するのは粕...</summary>
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        <![CDATA[<strong>＜奈良漬の漬け方＞</strong>

　砂糖や焼酎を加える方法もありますが、ここにご紹介するのは粕だけで漬ける中谷家の方法です。中谷酒造の粕は吟醸酒の粕が主体ですので柔らかく、甘みも多いのが特徴です。
　粕の総量は、以下の三度漬けかえの場合、塩漬け後の野菜の２〜３倍が目安です。（４ｋｇであれば粕は１０ｋｇ程度）

１．瓜や胡瓜など漬ける野菜を塩漬けにします。瓜は縦割りにして種の部分を匙で取ります。塩をたっぷり使うことが成功の秘訣です。漬物桶に入れて重しをします。
水気が抜け、しんなりするまで充分漬けます。二週間が目安です。

＊　真夏、気温が高い時は瓜や胡瓜を収穫したその日に塩漬けにすることが重要です。
　そのまま放置すると気温で細胞が破壊され、塩が入り込まなくなります。どうしても翌日まで塩漬けができない場合は、水を張った桶に入れて日陰の涼しい所に置いて下さい。

２．水気を拭き取り、塩抜きをせず、そのまま粕に漬けます（一度漬け）。
　　塩抜きが目的です。前年に漬けた奈良漬けの粕を再利用すると良いでしょう。

３．一度漬けから約２０日で新しい粕に漬けます（二度漬け）。

４．二度漬けから約２０日で新しい粕に漬けます（三度漬け）。
　　２０日程度で食べられるようになります。

＊　奈良漬以外にも魚や肉を一日程度漬けて焼くのも美味です。是非、お試し下さい。

<strong>＜土用粕の宅配料について＞</strong>

宅配便では、３袋（１２ｋｇ）が輸送単位になりますので、３袋毎に宅配料が掛かります。計算例は次の通りです。

　４ｋｇ１袋発注の場合：１，２００円＊１　＋　宅配送料＊１
　４ｋｇ２袋発注の場合：１，２００円＊２　＋　宅配送料＊１
　４ｋｇ３袋発注の場合：１，２００円＊３　＋　宅配送料＊１
　４ｋｇ４袋発注の場合：１，２００円＊４　＋　宅配送料＊２
　４ｋｇ５袋発注の場合：１，２００円＊５　＋　宅配送料＊２
　４ｋｇ６袋発注の場合：１，２００円＊６　＋　宅配送料＊２

<strong>＜蔵の様子＞　山田錦の田植え</strong>

<a href="http://sake-asaka.co.jp/photo_sakagura/056_01.jpg" target="_blank"><img src="http://sake-asaka.co.jp/photo_sakagura/056_01s.jpg" border="0" hspace="5" align="right" alt="快進撃する田植機"></a>　６月１８日、酒造好適米・山田錦の田植えを行いました。

　苗の丈は約２０センチ。例年より田植えが一週間遅い分、苗が成長しています。

　梅雨入りしたとは言うものの、当日は晴れ。夏の強い日射しが容赦なく降り注ぎます。今年のメンバーは、私（社長）と杜氏の喜多、南舎に加えて、営業の板東の４人。午前９時開始。田植機は快調に進みます。中谷酒造管理田は４枚。約三反です。最初の一枚は1時間半。二枚目を終えて昼食。

　私が朝の内に握っておいた握り飯を皆で平らげたあと、午後１時に再開。三枚目を終わって４枚目に移動したところで雨が降り始めました。西の空が明るいのでにわか雨かと思っていたら、局地豪雨の様相です。雷が鳴り、雷光が空を切り裂きます。農業道路を川のように水が流れます。そばの農業倉庫の軒下に避難した喜多と南舎を救出に、社長のフルタイム四駆が出動です。

<a href="http://sake-asaka.co.jp/photo_sakagura/056_02.jpg" target="_blank"><img src="http://sake-asaka.co.jp/photo_sakagura/056_02s.jpg" border="0" hspace="5" align="left" alt="田植え直後の水田"></a>　「エネルギー充填１２０％。インプレッサ号、発進！」

　宇宙戦艦ヤマトよろしく門を出発し、細い農道でホーンを合図に二人を救助。無事生還です。ただ、室内は泥だらけになってしまいました。

　夕方、空が明るくなり雨も小降りになりました。夕日が射し始め、残る一枚も終了。やれやれです。

　この米は純米吟醸酒「奈良吟」、吟醸酒「生吟」の原料となります。

写真上：快進撃する田植機
写真中：田植え直後の水田

２００９年７月
中谷酒造（株）代表取締役　　中谷正人]]>
        
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    <title>感想文結果発表【中国日記vol.157】</title>
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    <published>2009-07-02T15:00:00Z</published>
    <updated>2009-07-01T23:28:28Z</updated>
    
    <summary>　若社長の中国日記　「ＶＯＬ．１５６　最終回に代えて」で募集しました感想文の結果...</summary>
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        <name>M. Nakatani</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.sake-asaka.co.jp/blog/">
        <![CDATA[　若社長の中国日記　「ＶＯＬ．１５６　最終回に代えて」で募集しました感想文の結果発表です。

　大感謝賞１点、感謝賞二点を以下に掲載させていただきます。

　読者の皆様、とりわけ感想をお寄せ下さった方に深く御礼申し上げます。来月からはいよいよ「アラカン社長の徒然草」がスタートします。引き続きご支援賜りますよう、宜しく御願い申し上げます。

<div align="right">２００９年７月吉日
中谷正人</div>

<strong>＜大感謝賞＞　匿名　様</strong>

　ご無沙汰しています。　相変わらず多忙な毎日でしょうがお元気ですか。
　このたび、毎月楽しみにしている「若社長の中国日記」156を読んでいると、この号で終了とのこと・・・、
　少々寂しく思いながら読み進むと、50歳が近づいたので一区切りをつけ、今後「アラカン社長の徒然草」にて新たなスタートするとあり安心しました。期待しています。

　思い返せば、貴方は1995年、30歳半ば諸事情ある中、先見の明をもって中国進出を断固決断、実行し言い知れぬ苦労を乗り越え努力された結果、今日に及ばれました。　
　その間多忙極める中、14年間余に亘り、よくぞここまで幅広い、時宜を得たテーマ、時にはウイットに富んだテーマを選び、今までに無い独自の見地ももって　よくぞ茲まで健筆をふるえるものだと常々感心しながら、毎号読ませて頂きました。ときには、プリントアウトして中国旅行の参考にしたり、友人との話題のネタにするなど・・・。　
　本当にありがとうございました。

　いつまでも若いと思っていた私も昨年古希を迎えましが、貴方も50歳が手の届くとこに来たとは、本当に月日の経つのは早いものですね。　超多忙な心の休まることの無い毎日でしょうが、くれぐれも健康に留意され益々のご活躍を祈念しています。
　「アラカン社長の徒然草」を期待しつつ。　　

<strong>＜感謝賞＞　喜多村英重　様</strong>

「穎」と「若社長の中国日記」
　６月の初旬、通院先の待合室でふと手にした週刊誌に２００９年の酒類のお勧め記事が掲載されていた。何気なくページをめくっていると「穎」の文字が目に入ってきた。「穎」自身珍しい字だが、しかもノギヘンの頭は稲穂というユニークなデザイン、２００９年米焼酎部門１位受賞とある。痛風気味の身ではあるが、父の日も近いので買ってみようかと考えた。義父の名前は「喜多村穎一郎」。亡くなって５年経つ。中支戦線で金鵄勲章を頂いたほどの強者であり、酒好きで実直な人柄であった。是非とも位牌の前に供えたい、義父も自分の名前の焼酎を気に入ってくれるだろうという思いにかられたからである。一瞬、仏壇で笑っている父の顔が浮かんだ。
　「中谷酒造」というメーカー名を脳裏に刻み込み、家に帰ってからネットで調べてみた。そこで若そうには見えない社長の「若社長の中国日記」に出会ったのである。読んでみると、素直な中国観が結構面白い。実は７月２１日から２５日まで上海に皆既日食ツアーの予定がある。ここで生の中国情報を得ることができたのは幸いである。初回のほうの記事は直には読み出せず、＜前のページ＞欄をひたすら押してVOL.1まで読み進んだ。本は注文しないで済んだ。しんどかったが、ツアー雑誌などには書かれていない生の中国人の生活感覚が素直に書かれていて、とても参考になった。特にタクシーは要注意だ。ショッピングも値切るだけ値切ろう。サービス精神は薄いし、観光用万里の長城はイミテーションか、ガッカリである。
　これを妻にも読ませようと思い、参考になりそうなところや面白そうなところを打ち出してみた。妻のところに持って行くと、妻が新聞をよこしながら「ここ、見て見て！」と興奮している。漢詩紹介「秧を挿す歌」の欄に「秧」の文字があり、「なえ」とふられていた。妻の名前は「秧子（ようこ）」。しかし、滅多に見かけない字のためか、人にはなかなか正しく読んで貰えず（おうこ）と呼ばれることもしばしばである。初めて新聞に自分の名前の謂われが載ったのがとても嬉しかったようだ。奇しくも父の穎（稲穂）と娘の秧（稲苗）が同じ日に活字で出会ったのである。これも何かの縁だろうか。余談だが、義父は戦前、台湾の明治精糖に勤めており、妻は台湾生まれである。義父自身は京都生まれである。中国の話題といい、中谷酒造は大和郡山にあることといい、とても親しみを感じた。
　さて、「穎」は６月１０日にネットで３本注文した。配送されてきた「穎」１本は父の位牌前に供え、２本は義弟二人に届けた。二人とも酒好きである。２１日の父の日に義父を偲んで飲んで欲しいと言葉を添えておいたが、すぐ飲んでしまったようだ。「いやー、旨かったよ！」の感想が返ってきた。２１日を過ぎたが、私はまだ飲んではいない。６月いっぱいは供えておきたい。義父に十分味わってもらってから、妻と乾杯だ。いい供養だと、焼酎「穎」を妻や義妹たちはとても喜んでくれた。
　ところで「若社長の中国日記」だが、妻も初めは面白そうに読んでいた。翌日感想を聞いたら、日蝕ツアーをやめたいと言い出した。中国の生活状況や考え方に不安を感じたようである。特にトイレの記事にショックを受けたらしい。「この記事は５年も前から連載されているのだから、今は大丈夫だよ。」とか「上海は近代的でいいところだよ。」と言ってなだめてみたが、信用していない。いまだにキャンセル、キャンセルと言っている。これではまったくの逆効果である。若社長に何とかしてもらいたいと思っている。
　"VOL.29 中国トイレ事情"もそうだが、私が注目した記事は、"VOL.3 やっぱり食は中国にあり"、"VOL.8 飛行機の乗り方"、"VOL.9 松花江の真実"、"VOL.10 ホテル"、"VOL.13〜14 タクシー　交通事故"、"VOL.23 霧の中国"、"VOL.31 日本人はバカにされるか"、"VOL.44 信じる者は命がけ"、"VOL.50 中国の日本人"、"VOL.111 ２万円の感動"などである。来月旅行ということで、気になるところである。年も年なので忘れ物も多く、手荷物管理も不十分である。スラれる可能性が大である。今はファインダーの無いカメラだけは買いたくはない、と願っている。

<strong>＜感謝賞＞　上村英彦　様</strong>

　若社長の中国における数々の出来事・苦労話、読んでいると本当に面白く、現代中国で本当かなと思いますが、本当ですよね。そんな苦労の連続の中国で日本酒製造・販売を立ち上げられたのには敬服致します。お酒の品質管理の妙を知りたいものです。
　そんな中国での面白いお話２話
　その１
　１５年程前になりますが、中国広州を旅している時、タクシーに乗ったり町中のレストランらしきお店を利用したりしていると、結構古い１元、２元のお札と言っても手垢にまみれたヨレヨレのお札が貯まります。中にはセロハンテープで無理やり補強したものもあります。持つと油汚れで重みを感じる物もあります。持っていても汚ならしいので同行していた現地の通訳に、「３０元ほどあるけどあんたにあげるよ。」と言ったら驚いた事に、僕が差し出した古いお札の塊を一瞥するなり「そんな汚いお金は要りません。」と言うではありませんか。エエ、ほんならどないしようかな、と困っていたら、街角で老人の物乞いが一心不乱に街行く人に物乞いをしているのが目についたので、古いお札をわしづかみにして、その老人の物乞いのカンカンにやってしまいました。その老人は一瞬何が起こったのか分からない様子でしたが、それがお金と分かって走って追っかけて来て、言葉は通じないのですが、三拝九拝してお礼を言ってくれました。通訳曰く、「あれで一ヶ月は食べれるよ」だって。
僅か５００円程のお金がそんなに人から喜ばれるものかと実感しました。
その２
　中国の地方の大都市の昼下がり、街角のマンホールの口が開いており、何か作業をしているのに出会いました。何をしているのかと興味があるのでそこで立ち止まって、しばらく様子を見ることにしました。ややしばらくするとマンホールの中からモッコに入れられた下水のヘドロが、汚水を滴らせながら現れて来ました。流石、中国は何でも人海戦術やなぁ、と感心したのですが、次の瞬間、エエ、と思いました。路上にいる作業員は余り汚れませんが、ヘドロを入れたモッコを下から持ち上げている作業員がいるんですね。そして、横引きの管渠の中でヘドロをかき集めている人がいるんですね。この作業で一体何人の人が作業をしているのかと考えたら、少なくとも６〜７人の作業員がいる様です。中国では大変な公共事業があるんだなと思ったのと、生きて行く為にはこんな仕事もせんならんねんなぁ。と現実の厳しさを認識すると共に、やっぱり日本はエエなぁ。

<div align="right">＜若社長の中国日記　完＞</div>]]>
        
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    <title>山田錦の苗代と苗の成長【酒蔵便りvol.55】</title>
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    <published>2009-05-30T15:00:01Z</published>
    <updated>2009-05-29T07:23:44Z</updated>
    
    <summary>＜蔵の様子＞　山田錦の苗代と苗の成長 　５月８日、酒造好適米・山田錦の苗代作りを...</summary>
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        <name>M. Nakatani</name>
        
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            <category term="02sakagura" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.sake-asaka.co.jp/blog/">
        <![CDATA[<strong>＜蔵の様子＞　山田錦の苗代と苗の成長</strong>

　５月８日、酒造好適米・山田錦の苗代作りをしました。

　弊社では、米作りから酒造りまで一貫して行う製品作りに取り組んで既に１５年が経ちました。今年も弊社管理田と近所の二軒の方に御願いした水田で山田錦を栽培します。

　パレットに山砂を入れ、その上に疎らに種籾を落とし、その上に栄養のある土を被せます。種籾は一週間前に水に漬け、軽い籾を捨て、毎日水を換えて準備したものです。胚が既にふくらんでいます。

　できあがったパレットは酒蔵の外のコンクリートの上に整然と並べ、その間に散水ホースを通します。鳥に食べられないように上を寒冷紗で覆います。

　３日程で発芽し、成長を始めます。３週間で約15センチの高さに成長しました。もう鳥に食べられることはありません。寒冷紗を外し、太陽の光を一杯に浴びせます。
田植えまでもう少し。立派な苗になりそうです。

<a href="http://sake-asaka.co.jp/photo_sakagura/055_01.jpg" target="_blank"><img src="http://sake-asaka.co.jp/photo_sakagura/055_01s.jpg" border="0" alt="苗代"></a>　<a href="http://sake-asaka.co.jp/photo_sakagura/055_02.jpg" target="_blank"><img src="http://sake-asaka.co.jp/photo_sakagura/055_02s.jpg" border="0" alt="約１５センチまで伸びた苗"></a>　<a href="http://sake-asaka.co.jp/photo_sakagura/055_03.jpg" target="_blank"><img src="http://sake-asaka.co.jp/photo_sakagura/055_03s.jpg" border="0" alt="耕され、田植えを待つ水田"></a>

写真左：苗代
写真中：約１５センチまで伸びた苗
写真右：耕され、田植えを待つ水田

２００９年５月
中谷酒造（株）代表取締役　　中谷正人
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    <title>最終回に代えて　御礼と賞品付き感想文の募集【中国日記vol.156】</title>
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    <published>2009-05-30T15:00:00Z</published>
    <updated>2009-05-29T07:24:03Z</updated>
    
    <summary>　「若社長」こと私、中谷正人は、今年満50歳を迎えます。1996年に連載を始めて...</summary>
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        <name>M. Nakatani</name>
        
    </author>
            <category term="01china" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.sake-asaka.co.jp/blog/">
        <![CDATA[　「若社長」こと私、中谷正人は、今年満50歳を迎えます。1996年に連載を始めて早、13年。37歳の「若社長」も還暦を意識する年齢になりました。

　「羊頭を掲げて狗肉を売る」という言葉がありますが、50歳が近づくにつれ、「若社長」という題名に抵抗感が増しておりました折、読者からもそのようなご指摘を頂戴するに至り、ここに連載を終了する決意をしました。

　読者の皆様、VOL.60までを出版下さった蒼蒼社の中村社長とスタッフの皆様、題材のヒントを下さった方々、励まして下さった方々に深く御礼申し上げます。
　読者の皆様に感謝を込めて、賞品付きの感想文の募集をします。文末をご覧下さい。

　遅ればせながら、私と中国との関わり、執筆の方法など、皆様のご興味にお応えします。

　私は、1979年春に早稲田大学法学部に入学しました。その当時、中国語を学ぶ者は少なく、一学年の数パーセントに過ぎませんでした。同学部では、英語以外を第一外国語に選択できましたので、中学時代から独学をしていた中国語を第一、英語を第二外国語に選びました。

　更に同学部では年一回の抽選でその番号順に語学を除く全ての授業を選ぶシステムでしたので、番号が悪かった私は、千人教室で味気ない授業を受けるか、人気のない外国法で少人数教育を受けるかという選択に迫られ、中国法を学ぶことにしました。当時、中国は改革開放経済路線に舵を切ったばかりで法整備を急いでいましたが、その研究の先駆者の西村幸次郎先生が教えて下さいました。

　因みに、当時の早稲田大学は他にも変わったところがありました。法学部は必須科目だけで166単位もあり、六法はもとより労働法や保険法に英米法、それに法哲学まで「てんこ盛り」でした。私など優が30ほどありますが、成績優秀者ではありません。又、全学合同の入学式は会場に全員入りきれないので二回に分けて行いますが、卒業式は一回だけで先着順。私は正装して行きましたが満員で追い返されてしまいました。ただ、早稲田の名誉の為に申しておきますと、現在の法学部は少人数教育に改善され、建物もそれに従って改築され、これは赤旗を振っていたややこしい人々の退去という副産物も生み、卒業式も希望者は全員参加できるはずです。

　お陰様で、現代中国の事情を知り、法理論や条文など法律に関する中国文を精密に訳せる数少ない一人になることができました。就職した自動車メーカーでは中国とは全く関係のないシステムエンジニアなどをしていましたが、退職後の1986年夏には北京に語学留学をし、翌年から勤め始めた兼松江商では出張でも訪れ、私はいわゆる「中国通」と呼ばれる人々の仲間入りをしました。

　執筆にあたりましては、歴史的視点を大切にしました。私は東大寺学園という東大寺が経営する私立中高で、旧制中学さながらに中学から漢文教育を受けて育ちました。返り点や一二点、送り仮名を付けて読み下す方法に疑問を感じ、これが現代中国語を独学するきっかけにもなりました。陳舜臣著「中国の歴史」という大作を繰り返し読み、他にも良い書物を繰り返し読んで頭に入れました。

　連載開始時点では、多くの日本人にとって中国はまだ神秘の国で、日常生活の文化習慣の違いに興味が寄せられ、その方面の文章を書くことが多かったのですが、中国が身近になるにつれ、分野を広げ、深い内容で書くことが増えて行きました。これに歴史的視点を取り入れることで、一般人の知らないこと、知っていることでも関連して理解していないことをすっきりした形でお示しし、それが功を奏してより一層楽しんでいただけたのではないかと自負しています。

　連載中、思えば色々なことがありました。商社勤めから異業種の清酒業界に入り、しかも中国という異国で事業を立ち上げ、酒造りを学び、販売ルートを築き、現在に至っています。困難と試練の連続でした。とりわけ1997年の金融危機では資金繰りに窮し、瀬戸際まで追い込まれました。執筆どころではない状況下、平常心を保つ為に無理をして文章を綴ったこともありました。バックナンバーを読み返しますと、その時々の想い出がよみがえります。

　今後は、「アラカン社長の徒然草」と改題して、中国のみならずもう少し広い分野を題材に日常の思いを綴ってみたいと考えています。「アラカン」とは、もうすぐ40歳を意味する「アラフォー」をもじった、「もうすぐ還暦世代」のことです。是非継続してお読み下さい。

＜感想文の募集について＞

<strong>規定</strong>：「若社長の中国日記」から一話を選ぶか、全体について。二千文字以内。

　必ず、1.お名前、2.住所、3.電話番号、4.E-MAILアドレス、5.公開の可否（名前公開の可否、文章公開の可否をそれぞれ）を明記下さい。

　原稿は返却しません。著作権に配慮し、本件以外の目的には使用しません。入賞文の内、公開を可とされたものをHP及び本メルマガで公開する以外、一切公開は致しません。原稿は厳重に管理し審査後は焼却します。

<strong>締め切り</strong>：２００９年６月末日

<strong>送付方法</strong>：中谷酒造FAX（０７４３−５６−２４６４）まで。

<strong>審査</strong>：２００９年７月１日。大感謝賞１点、感謝賞２点を選びます。

<strong>賞品</strong>：大感謝賞に米焼酎「穎」（2009年春季全国酒類コンクール米焼酎部門一位受賞酒）、「若草」（「穎」の姉妹品）各２本、計４本。感謝賞に同じ物を各１本、計２本。更に「若社長のマル珍中国日記」（蒼蒼社）の著者サイン本を大感謝賞、感謝賞共に各一冊。宅配便にてお送りします。

<strong>発表</strong>：２００９年７月に弊社ＨＰ及び本メルマガ７月号でお名前と文章を掲載します。但し、公開を望まれないものを除きます。

以上

<div align="right">２００９年５月吉日</div>

天津中谷酒造有限公司　董事長総経理
中谷酒造株式会社　六代目当主
中谷正人]]>
        
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    <title>火入れ【酒蔵便りvol.54】</title>
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    <published>2009-04-30T15:00:01Z</published>
    <updated>2009-05-01T00:09:02Z</updated>
    
    <summary>＜今月のテーマ＞　火入れ 　酒蔵では、片付けの作業が進んでいます。その傍らで、火...</summary>
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        <name>M. Nakatani</name>
        
    </author>
            <category term="02sakagura" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.sake-asaka.co.jp/blog/">
        <![CDATA[<strong>＜今月のテーマ＞　火入れ</strong>

　酒蔵では、片付けの作業が進んでいます。その傍らで、火入れ作業が行われています。

　火入れとは、酒を６０℃に加熱しタンクに密封する作業のことです。３月までに搾られた新酒は、約１ヶ月で澱が下がります。その上澄みを更に濾過してから火入れを始めます。

　酒にはアルコールが含まれますので、１００℃にせずとも６０℃を一定時間保つことで酒を腐らせる乳酸菌など全ての雑菌が死に絶えます。これを低温殺菌と言います。火入れは雑菌を殺すのみならず糖化酵素も死活させ、貯蔵に適した状態にします。この低温殺菌の原理は、パスツールが発見するよりも前の江戸時代に、酒造り職人の経験から生み出されたというのですから驚きです。

<a href="http://sake-asaka.co.jp/photo_sakagura/054_01.jpg" target="_blank"><img src="http://sake-asaka.co.jp/photo_sakagura/054_01s.jpg" border="0" hspace="5" align="right" alt="湯気を立てる火入れ桶"></a>　木桶は、断熱効果が高いので湯が冷めにくく効率的です。弊社では今も火入れに木の桶を使用します。木の桶の中に蛇管と呼ばれる管を入れます。木の桶には湯を張り、蒸気を吹き込んで温度を上げます。酒は蛇管を通る間に６０度に加熱され、ホースでタンクに送り込まれます。温度が低いと殺菌効果がなく、高いと酒の質が傷みます。温度計をにらみながら吹き込む蒸気量を調節し、或いは流れる酒の速度と量を調節します。

　火入れが終わると、そのタンクは密封されます。酒は暗く涼しい酒蔵の中でゆっくりと熟成し、円やかになります。秋を迎えると幾つかのタンクの酒とブレンドされ、出荷されて行きます。

写真：湯気を立てる火入れ桶

２００９年５月
中谷酒造（株）代表取締役　　中谷正人
]]>
        
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    <title>月代（さかやき）を剃る【中国日記vol.155】</title>
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    <published>2009-04-30T15:00:00Z</published>
    <updated>2009-05-01T00:08:43Z</updated>
    
    <summary>月代（さかやき）を剃る 　最近テレビ番組では時代劇がめっきり減ってしまいました。...</summary>
    <author>
        <name>M. Nakatani</name>
        
    </author>
            <category term="01china" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.sake-asaka.co.jp/blog/">
        <![CDATA[<strong>月代（さかやき）を剃る</strong>

　最近テレビ番組では時代劇がめっきり減ってしまいました。製作コストがかさむのだそうですが、時代劇ファンにとっては残念な限りです。故松下幸之助氏は熱烈な水戸黄門ファンだったとか。お陰様でパナソニックの広告で今も続いているのは有り難いことです。

　時代劇と言えば役者は月代（さかやき）を剃って髷（まげ）を結った、いわゆる丁髷（ちょんまげ）頭です。世界を見渡しても珍しく、現代人の目から見て妙な髪型ですが、当時はそれがカッコ良かったのです。

　江戸時代に庶民に拡がったこの髪型は、元は武士特有のものでした。その発生は平安時代、それも日本独自のものと言いますが、夢のある見方もできそうです。

<strong>１．平安時代の記録</strong>

<a href="http://sake-asaka.co.jp/photo_china/155_01.jpg" target="_blank"><img src="http://sake-asaka.co.jp/photo_china/155_01s.jpg" border="0" hspace="5" align="left" alt="平安貴族の装束（三重県多気郡明和町　斎宮歴史博物館）"></a>　現存する記録の初出は、「玉葉」九条兼実日記。安元２年（１１７６）７月８日の記述で、平時忠が月代（さかやき）を剃っていたことがわかります。これを以て、この頃に始まったとするのは飛躍があります。

　月代を剃ることは、天皇や他の貴族の間では行われていないようです。注目すべきは、平氏は武士の棟梁として担がれる一族であるということです。この時、時忠は検非違使別当。即ち、武士を統括する地位にありました。武士、とりわけその上位者においては月代を剃り、髪を束ねる髪型が地位を象徴する特有のスタイルとして既に定着していたと考えるのが素直です。

<strong>２．北東アジアの習俗</strong>

　前頭部を剃り、髪を束ねるという共通点に着目すると、中国の弁髪というものに行き当たります。弁髪は満州族の習慣で、束ねた髪を後ろに垂らす点に特徴があります。満州族が中国を征服して建てた清王朝が、民族を問わず強制した為、１９１１年に清が滅ぶまで中国人男性に共通した髪型でした。今日でも中華料理店や中華食材のキャラクターに使われるほどこの髪型は我々に中国人のイメージとして定着しています。あたかも丁髷が日本人のイメージとして欧米人に定着しているが如しです。

　実は、月代を剃る習慣は、中国大陸北東部に住むツングース系民族に一般的なもので、金を建てた女真族（後の満州族）や元を建てたモンゴル族も行っていました。その起源は更に遡れます。

<strong>３．伝来の可能性</strong>

　５世紀、大阪府堺市を中心とした地域に超巨大前方後円墳群が現れます。中国南朝の宋の記録から言えば倭の五王の時代の始まり、日本書紀の天皇名を使うなら応神（おうじん）天皇による新たな王朝の始まりです。それまで日本になかった馬具と鉄製武具と武器が埋葬されますので、有力者は馬に乗り、軍団は強い戦闘力を持っていたことが解ります。応神は、朝鮮半島から大量の帰化人を受け入れました。

　その帰化人は秦（はた）氏と呼ばれ、３９４年に滅んだ前秦の末裔と考えられています。時は五胡十六国時代、北方から異民族が中国になだれ込み混乱を極めた時期です。ツングース系民族が秦氏に混じっていた可能性は大いにあることで、その戦闘能力を買われて応神の軍団の一部を構成していた可能性は否定できません。

<strong>４．武士団</strong>

　応神に始まる王朝は百年で終わりを告げます。６世紀、越の国西部（現在の福井県）からやってきた王が新しい政権を建てました。継体（けいたい）天皇です。この継体の血筋が現天皇家に繋がります。

　継体が政権を握って程ない西暦５３５年、ジャワ島とスマトラ島の間で大規模な火山噴火が起こりました。火山灰が北半球に広がり、急激な気温低下が始まります。中国では、５８９年に隋が中国全土を統一するまで混乱が続きます。継体政権は、武力に秀でた旧勢力との妥協の上に危機を乗り越え、そして旧勢力は武士団として生き延びることができたと考える余地はあります。

<strong>５．武士の世と混血</strong>

<a href="http://sake-asaka.co.jp/photo_china/155_02.jpg" target="_blank"><img src="http://sake-asaka.co.jp/photo_china/155_02s.jpg" border="0" hspace="5" align="right" alt="明治５年から継体天皇を祀る三国神社（福井県坂井市。写真は随身門）"></a>　平安時代が終わりに近づき、貴族の世から武士の世に移り変わります。武士の棟梁の象徴であった月代（さかやき）を剃り、髷（まげ）を結う髪型は、鎌倉から室町時代にかけて下級武士にまで拡がりました。武士は支配階級になり、武士の髪型は庶民の憧れになりました。

　下克上の戦国時代には農村も武装し、その長は武士の一部を構成するに至ります。足軽と呼ばれた下級武士に応募し、出世するものも現れます。そして武士と庶民の混血が進みました。

　やがて天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が刀狩りを行いました。刀狩りは、農民から武器を取り上げると同時に、武士と土地との繋がりを断ち切る政策です。禄で雇われる武士になるか、刀を捨てて土地に残るかの選択を迫られました。土地に残った武士は農村の有力者や在郷商人になりました。

　そして江戸時代を迎えました。武士と農民を血筋で区別する心理的な垣根が下がっていますので、庶民の間にも武士を真似て丁髷を結う習慣が広まりました。

<strong>６．武士の消滅と終焉</strong>

<a href="http://sake-asaka.co.jp/photo_china/155_03.jpg" target="_blank"><img src="http://sake-asaka.co.jp/photo_china/155_03s.jpg" border="0" hspace="5" align="left" alt="馬頭琴を弾く現代のモンゴル族青年（内蒙古自治区ウランホト市）"></a>　明治維新で武士が支配する体制が崩れました。明治４年（１８７１）にいわゆる断髪令が出され、丁髷を落とす人が増えました。軍人の髪型はプロシャ式に短く刈り込んだものに決められました。武士が消滅し、欧米の文化や習慣に先進性を見る風潮の中、もはや丁髷は格好の良いものではなくなりました。

　それから４０年、満州族の清王朝が倒れ、強制されていた弁髪も終焉を迎えます。モンゴル族も習慣をやめました。北東アジアに広く行われた月代を剃る習慣が消え、現在は日本の大相撲力士の髷にかすかな痕跡を留めるに過ぎません。

<div align="right">この号終わり</div>

写真上：平安貴族の装束（三重県多気郡明和町　斎宮歴史博物館）
写真中：明治５年から継体天皇を祀る三国神社（福井県坂井市。写真は随身門）
写真下：馬頭琴を弾く現代のモンゴル族青年（内蒙古自治区ウランホト市）]]>
        
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    <title>「穎」コンクールで一位獲得【酒蔵便りvol.53】</title>
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    <published>2009-04-03T15:00:01Z</published>
    <updated>2009-04-04T01:22:26Z</updated>
    
    <summary>＜酒蔵の様子＞ 　３月２４日、第二回ワールド・ベースボール・クラシック（ＷＢＣ）...</summary>
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        <name>M. Nakatani</name>
        
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        <![CDATA[<strong>＜酒蔵の様子＞</strong>

<a href="http://sake-asaka.co.jp/photo_sakagura/053_01.jpg" target="_blank"><img src="http://sake-asaka.co.jp/photo_sakagura/053_01s.jpg" border="0" hspace="5" align="right" alt="壇上に並ぶ入賞酒"></a>　３月２４日、第二回ワールド・ベースボール・クラシック（ＷＢＣ）決勝戦、日本対韓国の試合で日本中が熱気に包まれました。この日、東京大学駒場キャンパスの東京大学大学院ファカルティハウス一階に全国の清酒、焼酎メーカーの代表が集まりました。

　正午、全日本国際酒類振興会主催の２００９年春季全国酒類コンクールの表彰式が始まりました。

<a href="http://sake-asaka.co.jp/photo_sakagura/053_02.jpg" target="_blank"><img src="http://sake-asaka.co.jp/photo_sakagura/053_02s.jpg" border="0" hspace="5" align="left" alt="スピーチに立つ筆者"></a>　弊社製品「穎」は、米焼酎部門第一位を獲得、稲垣真美代表より表彰状を受け取りました。表彰のあと、受賞者を代表して筆者がスピーチを行う栄誉を頂戴しました。高齢化、若者のアルコール離れといった酒類の消費低迷の逆風の中、試行錯誤を繰り返し、清酒屋がつくる全く新しい焼酎の試みが結実したことを喜ぶと共に、一般市販酒を対象としたこのようなコンクールは作り手に勇気を与え、消費者にとってプラスになる点で会の振興を願う旨の話しをさせていただきました。

　懇親会のあと、晴れ晴れとした気持ちで会場を出ました。丁度、イチローが決勝打となるヒットを打ち歓声が上がりました。やがて静けさを取り戻した東大を後にしました。

写真上：壇上に並ぶ入賞酒
写真下：スピーチに立つ筆者

<a href="http://sake-asaka.co.jp/5_intro/090402/index.html">表彰式を伝える奈良新聞記事はこちらのページををご覧下さい</a>

２００９年４月
中谷酒造（株）代表取締役　　中谷正人]]>
        
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    <title>後ろ向き？の日本【中国日記vol.154】</title>
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    <published>2009-04-03T15:00:00Z</published>
    <updated>2009-04-04T01:22:08Z</updated>
    
    <summary>１．「いろは」の「い」 　一般市民にとって住宅といった高額商品はローンを組んで買...</summary>
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        <name>M. Nakatani</name>
        
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        <![CDATA[<strong>１．「いろは」の「い」</strong>

<a href="http://sake-asaka.co.jp/photo_china/154_01.jpg" target="_blank"><img src="http://sake-asaka.co.jp/photo_china/154_01s.jpg" border="0" hspace="5" align="right" alt="天津・北京間を結ぶ新幹線型車両"></a>　一般市民にとって住宅といった高額商品はローンを組んで買うのが普通です。ローンの貸し手である金融機関は利益を上げて株主に報いる必要があります。返済が滞れば損失が生じますので、誰にでも融資するという訳には行きません。借り手の信用度を審査し、融資しても良いか、融資できるとして幾ら貸せるか、金利などの条件はどうするかを決めます。住宅を担保に取りますが、老朽化や相場下落に備えて、住宅価格全額を貸し付けることはあまりありません。

<strong>２．ある国で</strong>

　融資した貸付債権を無尽蔵に買ってくれる神様が現れたとしましょう。例えば、年利５％で貸し付けた１億円の債権を１億２００万円で即金で買ってくれるとすれば、貸して直ぐに資金の回収と確定した利益を手にすることができます。ある国では、そんな夢のようなシステムが金融工学の進歩で生み出されたのです。

　「神様」の秘密はこうでした。いろんな金融機関から債権を購入し、それらをまとめて一定額面の債券に加工し、それを販売するのです。多様な債権が混じっていますので、全体として見れば債務不履行リスクは分散され、安心に見えます。おまけに格付け機関が投資適格と判断してお墨付きを与えます。これによって債券の売れ行きは好調でした。

<strong>３．深みへ</strong>

　人は欲が深いものです。うまく行くとなればどんどんはまって行きます。信用度の高い優良顧客にだけ融資していたものが、徐々に信用度の低い顧客にも融資を始め、それでも貸付債権はどんどん売れるので、全く信用のない人にも融資の裾野が広がりました。おまけに住宅価格の値上がりを見込んで、全額貸付も行われるようになりました。

　普通人の感覚では、金利を払う必要がある借金には慎重になりがちですが、担保に入れた家さえ手放せば借金も金利も棒引きという条件が付くのが普通になり、新たな借り手が開拓されて行きました。

<strong>４．終焉</strong>

<a href="http://sake-asaka.co.jp/photo_china/154_02.jpg" target="_blank"><img src="http://sake-asaka.co.jp/photo_china/154_02s.jpg" border="0" hspace="5" align="left" alt="斬新なデザインの北京南駅（和諧之旅2009年2月NO.42より）"></a>　誰かが言いました。「ちょっとやり過ぎとちゃうやろか。あの人は、何年もホームレス生活をしたはったのに、あんな立派な家を建てはった。」

　誰もが行き過ぎに気付いていましたので、債券の買い手がいなくなりました。貸付債権を持っている金融機関は、売却できなくなり不良債権を抱え込むことになりました。債券を持っている金融機関、投資家は見切り売りもできず、償還される見込みの薄い債券を塩漬けにすることになりました。金融機関は互いに信用できなくなり、資金が回らなくなりました。

<strong>５．お守り</strong>

　そんなこともあろうかと、「お守り」（Credit Default Swap）を売る保険会社もありました。「お守り」に書かれた金融機関が破綻した場合、「お守り」の金額に従って現金を受け取れるというのです。ところがどっこい、「お守り」を売っていた会社が経営破綻の危機。単なるお守りに過ぎないことが判明したのです。その保険会社は政府から救済資金を注入してもらったにもかかわらず、その金を経営者や従業員のボーナスに使ってしまいました。末期的です。

　金融機関は政府の融資で息をつなぎましたが、家を買う人が激減しました。多くの人が家を担保にクルマを買っていましたが、そんな人もいなくなりました。物が売れなくなり、不況がやってきました。バブルが大きかっただけに、この不況は長引きそうです。

<strong>６．後ろ頼み</strong>

　バブルがはじけたその国は、世界の消費のリーダーでした。日本はその国へ物を売ることで経済の好調を維持してきました。新しい売り先を見つけなければ日本の経済も長引く不況に入りそうです。

　ふと後ろを見てみますと、その国と同じくらいの消費がありそうな国があることに気がつきました。今までは発展途上国だったのですが、急激な経済成長でいつの間にか大きな規模になっていたのです。世界最大の自動車市場になり、粗鋼生産も世界の半分を占めるに至りました。経済成長率も二桁を切ると騒いでいますが、それでも８％程度の成長は見込まれています。来年は史上最大の万国博覧会も開かれると言います。発展途上ですから、先進国のような物の飽和感には程遠く、まだまだ幅広い物への需要が期待できます。日本は前を向きながらも、徐々に後ろを向く回数が増えているようです。

<div align="right">この号終わり</div>

写真上：天津・北京間を結ぶ新幹線型車両
写真下：斬新なデザインの北京南駅（和諧之旅2009年2月NO.42より）]]>
        
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    <title>大吟醸の圧搾と蔵の片付け【酒蔵便りvol.52】</title>
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    <published>2009-03-12T15:00:01Z</published>
    <updated>2009-03-12T23:23:57Z</updated>
    
    <summary>＜酒蔵の様子＞ 　全国新酒鑑評会出品用大吟醸は、今年２仕込み。今月中旬、相次いで...</summary>
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        <name>M. Nakatani</name>
        
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        <![CDATA[<strong>＜酒蔵の様子＞</strong>

　全国新酒鑑評会出品用大吟醸は、今年２仕込み。今月中旬、相次いで搾りました。

　袋吊りと言って、幅２５センチ、深さ１メートルほどの布袋を何十枚も用意し、それにもろみを汲み入れ、タンクの口に渡した棒に吊します。袋の繊維の目を通して酒がしたたり落ち、タンクに貯まって行きます。甘いフルーツのような吟醸香（ぎんじょうか）があたり一杯に漂います。

　今年のできはどうでしょう。我々の感覚では、例年同様高い水準に達しているように感じます。昨年は入賞に終わりましたが、今年こそ何としても金賞を獲りたいものです。

　炭酸が抜け、澱が沈み、落ち着いたところで火入れをして出品用の瓶に詰めます。

　蔵では、全ての仕込み作業を終えました。麹室は、ぞうきんがけ。たくさん使用していた布は綺麗に洗って太陽光にさらして乾かします。装置は、分解して洗浄します。

　米を水に漬けるタンク、米を運ぶコンベア、米を蒸す甑など、順次洗浄と片付けが始まりました。片付けの作業は４月まで続く見込みです。

<strong>＜今月のテーマ＞　招き猫</strong>

筆者が重度の花粉症の為、休ませていただきます。
代わりに香港の写真をどうぞ。

<a href="http://sake-asaka.co.jp/photo_sakagura/052_01.jpg" target="_blank"><img src="http://sake-asaka.co.jp/photo_sakagura/052_01s.jpg" border="0" hspace="5" alt="食品街の朝（銅羅湾裏通り）"></a>　<a href="http://sake-asaka.co.jp/photo_sakagura/052_02.jpg" target="_blank"><img src="http://sake-asaka.co.jp/photo_sakagura/052_02s.jpg" border="0" hspace="5" alt="食品街の朝（銅羅湾裏通り）"></a>　

<a href="http://sake-asaka.co.jp/photo_sakagura/052_03.jpg" target="_blank"><img src="http://sake-asaka.co.jp/photo_sakagura/052_03s.jpg" alt="銅羅湾からヴィクトリアピークを望む" hspace="5" border="0" align="left"></a>
写真上左、上右：食品街の朝（銅羅湾裏通り）
写真下：銅羅湾からヴィクトリアピークを望む

２００９年３月
中谷酒造（株）代表取締役　　中谷正人
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    <title>もったいない【中国日記vol.153】</title>
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    <published>2009-03-12T15:00:00Z</published>
    <updated>2009-03-12T23:23:31Z</updated>
    
    <summary>　高価な酒をテーブルにこぼしてしまいました。「もったいない」。私など、そのテーブ...</summary>
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        <name>M. Nakatani</name>
        
    </author>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.sake-asaka.co.jp/blog/">
        <![CDATA[　高価な酒をテーブルにこぼしてしまいました。「もったいない」。私など、そのテーブルが清潔であることがわかっていればストローで吸うことがあります。「みっともない」。酒飲みの悲しい性（さが）です。
　日本では、コンビニやスーパーで売られる弁当類の廃棄量が世界の飢餓人口全員を救える程の量にのぼるそうですが、実にもったいないことです。今回は、中国で感じる「もったいない」がテーマです。

<strong>１．中国語で</strong>

　環境分野で初めてノーベル賞を受賞したワンガリ・マータイさんが日本語の発音のまま「MOTTAINAI」を世界に宣伝しています。世界に拡がる「もったいない」ですが、中国では漢字だけで表記しますので「MOTTAINAI」は使われていません。ただ、限られた資源を有効に使おうという世界共通の考えは浸透しつつあり、「可惜」とか「浪費」と表現されています。

<strong>２．食べ残す</strong>

　次々と出される料理。円卓上の回転板は料理の皿で埋まり、新たな皿を置く余地はありません。ところが更に運ばれてきた料理は、既に置かれた皿の縁を利用してその上に置かれます。客は満腹し、箸を出す人も減り、乾杯だけが続きます。主食が運ばれ、やがてお開き。膨大な量の料理が食べ残されます。「もったいない」。

　ホストの面子をかけて食べきれない程の量を出し、客もそれを食べ残して満足を表すのが中国の伝統です。特別な接待の席はともかく、親族など身内の宴席ではそこそこの量に抑え、残ったものは「打包」といって使い捨ての弁当箱で持ち帰るのが普通になってきました。ただ、急速に増え続けるコンビニは、日本同様弁当廃棄量を増やしています。

<strong>３．ぶつける</strong>

　信号を見ずに道路を渡る自転車、波のように交差点に押し寄せる歩行者、車の無理な右左折と強引な割り込み。最低の交通マナーは交通事故を日常的なものにしています。

　年間の死者はざっと１０万人。人口は日本の１０倍ですから、こんなものかと納得しがちですが、車の保有台数は日本より少ないのです。恐るべき数字です。

　負傷者も物損も同じような比率でしょうから、車一台当たり日本の１０倍以上の割合で事故が起き、損害を出していることになります。数分の時間節約より安全第一。交通マナーの普及で社会損失を十分の一以下に減らすことができるはずです。「もったいない」。

<strong>４．押す</strong>

　朝の出勤時間帯、高層アパートのエレベーターは混雑します。やっと来たエレベーターが一杯で、次が来るのをいらいらしながら待つというのは日本でも見られる光景です。中国では、上向きと下向き両方のボタンを押します。上向きであれ、乗った者勝ちという発想です。全ての階でこれが行われますのでエレベーターは上下共に各階停車。時間の惜しい朝に恐るべき無駄。「もったいない」。

<strong>５．燃やす</strong>

<a href="http://sake-asaka.co.jp/photo_china/153_01.jpg" target="_blank"><img src="http://sake-asaka.co.jp/photo_china/153_01s.jpg" border="0" hspace="5" align="right" alt="派手に燃える高層ビル（"CHINA DAILY" FEB.10,2009)"></a>　百元札が最も高額な紙幣なのですが、それを燃やして金満ぶりを示す遊びが広東省のお金持ちの間で流行しているそうです。今宵も高級クラブの個室に美女を集めて、コルドンブルーをがぶ飲みしながら百元札をメラメラ。「もったいない」。

　燃やすと言えば今年２月９日。この日は旧正月最初の満月、元宵節でした。街中至るところで爆竹が炸裂、煙で視界がさえぎられ、歩道には爆竹カスが赤い雪のように積もります。花火も次々と打ち上げられ、黒い燃えかすが降り注ぎます。その夜、私は営業活動で北京に居たのですが、タクシーが次々と乗車拒否。そのうち、「中央電視台が燃えて通行規制が行われている」ことが判明。禁止区域にもかかわらず花火を打ち上げて引火したらしく、ホテル棟が丸焼けです。損害額は１０億元（１３０億円）とか。百元札で一千万枚。「あーもったいな！」。

<div align="right">この号終わり</div>

写真：派手に燃える高層ビル（"CHINA DAILY" FEB.10,2009）]]>
        
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    <title>大吟醸のもろみ管理と招き猫【酒蔵便りvol.51】</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.sake-asaka.co.jp/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=165" title="大吟醸のもろみ管理と招き猫【酒蔵便りvol.51】" />
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    <published>2009-02-05T15:00:01Z</published>
    <updated>2009-02-05T23:27:57Z</updated>
    
    <summary>＜酒蔵の様子＞ 　全国新酒鑑評会出品用大吟醸、そして純米大吟醸の仕込み作業を１月...</summary>
    <author>
        <name>M. Nakatani</name>
        
    </author>
            <category term="02sakagura" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.sake-asaka.co.jp/blog/">
        <![CDATA[<strong>＜酒蔵の様子＞</strong>

　全国新酒鑑評会出品用大吟醸、そして純米大吟醸の仕込み作業を１月に終え、少しほっとする毎日です。

　仕込みを終えたもろみは、毎日少しずつ温度が上がって行きます。麹に含まれる糖化酵素が米の澱粉をブドウ糖に変え、酵母菌はそのブドウ塘を食べてアルコールを作り出します。酵母菌の活動は熱を生み出すからです。

　一週間ほどかけて１１度くらいまで上がったところで、それ以上あがらないようにもろみを冷却し温度を一定に保ちます。香り高い大吟醸を造るには低温発酵が重要です。毎日神経質な温度管理が続いています。

　そして今月は、手塩に掛けて育てた奈良県産山田錦で醸す純米吟醸「奈良吟」に取りかかっています。庭の梅の老木のつぼみはふくらみ、日射しが明るくなってきました。近づく春を気にしながら、今の冷気を利用して酒造りが進行して行きます。

<strong>＜今月のテーマ＞　招き猫</strong>

<a href="http://sake-asaka.co.jp/photo_sakagura/051_01.jpg" target="_blank"><img src="http://sake-asaka.co.jp/photo_sakagura/051_01s.jpg" border="0" hspace="5" align="right" alt="ねこ"></a>　我が家には猫がいます。４年ほど前、ミャーミャーと大きな声をあげて迷い込んできたのですが、餌をやったらそのまま居着いてしまいました。

　猫が来て良いことがありました。毎週のようにネズミをつかまえてきます。そして近所の猫が出入りしなくなりました。ただ、しょっちゅう首輪をなくしてきます。時にはけがをして帰ってきます。やむなく病院に連れて行き、抗生物質の注射を打ってもらいます。一ヶ月に二回もそんなことがあり、「参ったなあ」と思っていたある日、無くした首輪が自宅続きの酒蔵の外でみつかりました。何と、この猫は他所の猫から蔵も守ってくれていたのでした。

　もう一つ良いことがありました。それは、猫好きのかたが事務所に来られると出てきて愛想を振りまくのです。猫は、猫好きの人を一瞬で見分けます。「毛並みがきれいねえ」とか声をかけていただき、なぜてもらうと「ご機嫌さん」です。事務所では弊社製品の小売りもしていますので、招き猫と評判です。

　猫は、人類が農業を始めた頃、貯蔵穀物を食べるネズミを捕ってくれるので次第に人との共生を始め、気性の荒いものが淘汰され、現在に至ったそうです。事務所のある我が家の母屋は江戸時代に建てられたもので、明治、大正に建てられた部分も含め全て木造建築です。古い建物にはネズミがつきものですから、やはり猫は有り難い存在です。ただこの猫、まだ名前がありません。「ねこ」です。

写真：ねこ

２００９年２月
中谷酒造（株）代表取締役　　中谷正人
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