VOL.6 きれいになった天津

投稿日:1996年11月24日

きれいになった天津

1.プロローグ

 深夜、ブルーバード・マキシマが比較的広い路を突っ走って行く。路には街灯もない、信号もない。ヘッドライトで切り裂かれた闇を通して両側には建物がある事がわかる。クルマは北京から続く高速道路を降り、間もなく天津の中心部に入ろうとしていた。

道路上に車線区分のラインは見えない。路肩には白いものが積もっている。気温は氷点下である。雪か、一瞬そう思ったが、もっと細かい物、砂塵である。時々風にあおられて舞い上がる時、背筋に薄ら寒いものが走った。

今から二年近く前、1994年12月4日、私は企業化調査の為に、天津に向かった。86年11月1日に北京を離れて以来、八年ぶりの北京、そして初めての天津であった。天津 —- それは北京、上海と並ぶ中央政府三直轄都市の一つ。人口は郊外を含めて一千万人に近い街。そして北方中国最大の貿易港。

夜が明けた。そこで見た物は、無秩序な都市計画を物語る市の中心にある火力発電所、そしてそこから出る煙。街を回った。一つしか無い高層ビル、ほとんど信号のない曲がりくねった道路、無秩序な交通、路肩と歩道が風化したゴミと砂塵に埋まった汚い街。誇張されたイメージとの膨大なギャップがそこには横たわっていた・・・・・・。

2.風と共に去りぬ

 戦前、欧米列強の租界があった天津は、当時の建築物の宝庫です。かつての金融街を偲ばせ、又現在も銀行が集中する解放北路。フランス人、英国人、ドイツ人が集中して住んだ地域にはそれぞ れ特徴のある建物。伊勢丹の裏手には立派なキリスト教会。市街の東には煉瓦塀で囲まれた旧日本軍の広大な駐屯地が当時の帝国主義を物語る、と言った具合です。

 建築物に造詣の深い方には興味 が尽きないでしょうし、一般の方にとっても面白い街に違いありません。但し、「下を見なければ」と言う条件が付きます。しかし、「歩く為には下を見なければならない」というジレンマに陥ります。

 道路の両側の商店、事務所、場合によっては住宅から出される紙屑、出がらした茶葉、使い捨ての発砲スチロール製弁当箱、タバコの吸殻、食べた種の皮程度のものだけではありません。通行人 が捨てる同様の物、それに痰(たん)、唾(つば)、はな(中国の人は紙を使わず、手ばなをかむ)が加わります。これらが、風化して埃となり、或いは路肩の砂塵と混じり合って、風が吹くと舞い散 ります。

3.掃除をすれば北京

掃除をすれば北京

 私は研究不足でした。旅行のガイドブックには沿海諸都市で最も汚い街として天津が紹介されているそうです。私はいつの間にか北京をイメージしていたのでしょう。北京は何と言っても一国の首都、一国の顔なのですから道路も整備され、信号も付き、道路を始め公共の場所は清掃されていたのでしょう。

 中国の人は室内外を問わず、原則としてゴミ箱を使う習慣がありません。生ゴミを除き、床もしくは道路がゴミ箱です。北京もあまりきれいとは言えませんが、捨て続けても掃除をすれば北京、掃除をしなければ天津の状態になるという事が解ったのです。

4.卓球と奇跡

 年が明けて翌95年の春になりました。4月のある日の事です。天津中の道路で清掃が始まりました。五月に開催される世界卓球大会の準備が始まったのです。掃除は毎日続きました。卓球会場以外の建設工事も凍結され、土砂を運ぶトラックの移動もほとんど無くなりました。歩道は足もとを見て歩かなくても良いくらいになりました。風が吹いても砂塵が舞い上がる事はほとんどなくなりました。

 そして卓球大会が終わりました。でも掃除は続きました。そして、今に至るまで続いているのです。

5.中央政府の英断

 現政権幹部はタバコを吸う人がいないそうです。その為かどうか、最近公共の場所では禁煙となりました。駅、空港など公共の建物では、最も多く捨てられていたゴミは、タバコの吸殻と包装紙です。その為、公共の場所もその分きれいになりました。

6.負の遺産

 しかし、負の遺産が残っています。貯まりに貯まった土砂が道路の排水溝を埋めてしまっており、雨の度に道路が冠水する所があります。

 又、ゴミを外に捨てる習慣はそう簡単に変わりません。例えば、我々の工場の外では、毎日大量のゴミが捨てられます。夏などは日陰が休息の場を提供する事になるので、隣の工場の工員が建物の北側で昼食を取ります。昼休みが終わってみると、北側一面数十メートルにわたり、使い捨て弁当箱、卵の殻、ビニール袋、アイスキャンディーの袋とバー、タバコの包装紙と吸い殻、ひまわりやかぼちゃの種の外皮などが散乱しています。

 因みに、中国ではおやつ代わりに種を食べます。口の中で外皮を割り、中身だけをうまく飲み込んで、外皮をペッと吐き出します。種は大きい物ではありませんので、一人で何百個と食べますのであたり中に皮が散らかります。  掃除をしても、夕方になると今度は近くの農家の夕涼みの場所になり、翌朝には昼より大変な情況になっています。しかし朝、歩道部分までは、道路清掃人が掃除してくれるのが救いです。

7.今なお続く戦い

 天津も他の大都市と同様、建設ラッシュが続いています。新しいビルがどんどん建設中です。中高層のビルも含まれています。取り壊した建物の廃材を運び出すトラック、建築資材を運び込むトラックなど、毎日多くのトラックが出入りし、多くの土砂を道路に落として行きます。又、春には大量の黄砂が降ります。雨が降るとクルマが黄土色になってしまう程です。そして、毎日捨てられるゴミ。

 それに負けない様に、毎日清掃が行われるのです。

 又、一歩路地に入ると掃除はほとんど行われていません。アパートの住宅街では、共用部分の掃除を行う人がいないので、敷地中がゴミ箱状態です。夏は西瓜や生ゴミが散乱し、近づきがたい状況です。それらのゴミは風化するに任されます。

 戦いは、始まったばかりです。

つづく