VOL.102 クリスマス

投稿日:2004年12月15日

クリスマス

 外資系ホテルでは、クリスマスツリーとクリスマスソングが出迎えてくれます。商店の飾り付けもクリスマスを意識したものになり、クラブやバーにはサンタクロースまで登場します。

 ニューヨーク貿易センタービルのテロ以来、公共の場での宗教行事に神経質になる我々をよそに、年々中国のクリスマスは盛り上がりを見せます。もちろん、宗教活動とは無縁の商業ベース、「ファッション」のノリです。

 中国にキリスト教が伝わってから、こんな軽いつき合いができるようになるまで、思えば遙かな道のりでした。

1.一千四百年も前から

 635年、ペルシャ人の阿羅本がキリスト教の布教を許されました。東ローマ帝国で異端とされ、東方に布教活動を行ったネストリウス派でした。当時、キリスト教を「景教」、教会を「大秦寺」と呼びました。

 「大秦」とはローマのことです。都・長安を中心に庶民の間に大流行しましたが、9世紀半ばに仏教弾圧の余波を受け衰退します。僧籍を取ると税金が免除されるので、形だけ僧侶になる者が急増して国家財政に大きな影響が出ていたのです。

2.伝来の時代

 社会が混乱した時期にあたります。隋は大運河の建設と高句麗遠征で国力が尽き、瞬く間に滅びました。続く唐も貞観元年(627年)と翌年、二年続けての大寒波で大飢饉、人々には心のよりどころが必要でした。

 玄奘が仏典を求めてインドに旅立ったのはこの時です。イスラム教が始まったのもこの頃ですから、世界規模の異常気象が続いたことでしょう。

3.日本にも

 唐は、東は朝鮮半島、西はトルキスタン、南はベトナムに至る世界帝国で、キリスト教以外にもゾロアスター教、マニ教も伝わってきました。更に、唐を経由してその周辺の国々にもそれらは伝わって行きます。

 聖徳太子を厩戸(うまやど)の皇子と呼びますが、8世紀に太子を神格化する上で、馬小屋で生まれたキリストのイメージを重ね合わせた可能性があります。

4.元から明へ

 チンギスハンの生母はキリスト教徒であったと言われています。モンゴル人は宗教には寛容で、元朝中国ではキリスト教が復活しましたが、もはや大流行は訪れません。

 中華文明を受け入れていない民族を「蛮」とする儒教は、征服者たるモンゴル人には受け入れられません。元では、儒教を試験科目にする高級官僚登用試験・科挙に受かった官僚に代えて、有能な色目人(西域の人)を重用しました。

 その多くはイスラム教徒でした。イスラム教が港や内陸のシルクロードを経て広まって行きます。

 元末期の反乱の中心となった白蓮教は、末世の救済に現れるという弥勒菩薩信仰を利用したマニ教であったようですが、元の次の明では基本的に治者は儒教、庶民は道教、少数派としてイスラム教徒と仏教徒、その他という構成になります。

5.帝国主義の波

 ヨーロッパでは、16世紀前半にキリスト教の宗教改革が起こりました。改革派に対抗して従来の主流・カトリック側にも立て直しの動きが高まりました。その一つ、イエズス会は海外布教に活路を見い出します。

 明末の17世紀初頭、同会のマテオ・リッチは布教を許され北京に教会が建てられました。明が首都北京を逐われた後、最後の皇帝となった永暦帝の生母と皇后はキリスト教徒であったことが知られています。

 清の康煕28年(1689年)、南下するロシア帝国との間に国境と交易を定めるネルチンスク条約が結ばれます。締結の通訳にはイエズス会の神父があたっています。帝国主義の時代がやってきたのです。

 その先兵の役割をカトリックが担いました。先ずキリスト教を広めて、次いで教徒保護の名目で権益を要求するのです。

 日本では危険を感じた徳川家光が鎖国令を出してその流入を止めました。中国でも1723年にキリスト教宣教師の追放令を出し、1811年には布教を禁止します。

 19世紀になると英が麻薬(アヘン)販売による利益を得る為に圧力をかけ始め、「世界史上最も恥ずべき(陳舜臣著「中国の歴史」)」アヘン戦争で中国侵略を開始します。

 それによって英国が得た権益を、最恵国待遇を根拠に仏・米・露が続いて得ます。利権・領土の獲得と、キリスト教の布教即ち欧米の絶対的価値観の流布は車の両輪でした。

 1900年の義和団事件で北京ではほとんどの教会が破壊されますが、直ぐに復活します。そして太平洋戦争が始まるまで、キリスト教は欧米帝国主義の中国侵略と共に発展を続けます。

6.現代

上海市徐家匯(旧仏租界)に建つキリスト教会

 新中国成立後、基本的に宗教活動は認められませんでした。改革開放経済と共に規制は徐々に緩和されています。道教は民間信仰や迷信の形で復活しつつありますが体系的な信仰はありません。

 イスラム教徒は清朝末期に反乱を起こすなど団結が強かったせいか、「回族」(出身民族に拘わらずイスラム教徒を中国では「回族」と呼ぶ)の多い地域では寺院が復活しています。

 仏教は信者らしき人も見かけますが、観光資源として寺院が再建されていることが多いようです。キリスト教に対しては帝国主義侵略を忘れない為に「教会を保存している」という傾向が濃厚です。

 概して言うと、現代日本と同じく宗教に関心のある人は少数派です。

 赤いローソクに照らされたほの暗い空間は、見つめ合う男女二人だけのものです。クリスマスソングの歌詞は英語ですから誰もその意味を理解していません。ひたすらムードを盛り上げます。かつてキリスト教が中国を苦しめた経緯など頭の片隅にもありません。

 「来年のクリスマスも必ず二人で過ごしましょうね」

 「愛してるよ・・・」

 平和な世界って、本当にいいですね。

つづく

写真上:内蒙古自治区ウランホト市のジンギスカン廟
写真下:上海市徐家匯(旧仏租界)に建つキリスト教会