VOL.115 初夢

投稿日:2006年1月06日

初夢

 特定の宗教とは無縁の日本国の新しい慰霊碑が輝いており、今まさに中国国家主席が献花しています。後ろ姿だけで顔は見えません。

 それが終わると、そばに設けられた演壇で日本国首相は、過去に日本が引き起こした災禍をあらためて謝罪すると共に不戦の誓いを新たにし、中国四千年の偉大な歴史と文明のおかげで島国日本が今の姿に発展できたことに感謝し、更なる日中関係の発展を期待すると述べました。

 首相は若く、京都あたりで見たことのある顔ですが、思い出せません・・・目が覚めました。

1.相手を知る

 今や日本の最大貿易相手国は米国に代わって中国です。互いの国なしには経済が成り立たないところまで深い関係になっています。一方、「政冷経熱」と言われるように政治外交においては、良い関係にはありません。

 特に、昨年中国では反日デモを許可し、デモを取り締まるべき警察が在外公館の破壊を見逃し、その賠償を国家が拒否するという国際社会の常識では考えられないことが起こり、それ以来日本国内にも「嫌中」が広がりました。何が中国政府をこのような態度にさせたのか、その根源を知らなければなりません。

その一、「四千年」の大国の自負:

 中国は世界四大文明の一つ黄河文明の発祥地であり、世界三大発明の全てを成し、超大国であるのが常態でした。

 清朝の衰えと帝国主義の侵略を経て、中国共産党による新中国を建国できましたが、大躍進や文化大革命といった政策の失敗から発展途上国に落ち込んでしまいました。やむなく「第三世界の盟主」などと発展途上国の親玉に甘んじていましたが、経済の復活・発展と共に大国主義が鼻をもたげてきました。

 首脳は、少なくともアジアでは一番の国でなければならないと考えています。中国文明の恩恵を受けて文明化してきた周辺諸国に負ける訳にはいきません。

 とりわけ日本は中国を飛び越えて産業革命を成し遂げ、アジアで唯一の先進国ですから鼻持ちならない存在です。おまけに中国侵略の過去を持つのですから、羨望とその裏返しである嫉妬が増幅されます。そんな国が国連の常任理事国になるなど「四千年早い!」のです。

その二、政権の現状:

 中国は、1970年代末に始まった改革開放経済以来、高い成長を持続しています。急激な発展には歪みがつきものです。貧富の差は、社会不安を引き起こす寸前にまで拡大しています。

 共産党幹部の汚職や腐敗も止まず、批判の声が更に高まっています。都市部では富裕層による不動産投機が盛んでバブルが膨らむ一方、多くの農村部では豊かさを実感できない上に、過去の大躍進時代に大量の餓死者を出したことや文化大革命への批判もあり、共産党政権を積極的に支持する人はほとんどいません。

 このように中国政府は、社会が混乱するか否かの窮地に立たされています。これを打開するのに首脳部が選んだのが、外に敵を作り国内の団結を維持するという方法です。

その三、誇り高い人々:

 「バスが遅れたから仕方ないでしょう」、「機械の調子が悪いんです」、「そんな指示は聞いていません」など、中国進出企業の方々は「中国人は言い訳や口ごたえが日常茶飯事」と口をそろえます。

 これは文化大革命の時に、「反革命」の烙印を押されると家族全員が命の危険にさらされた時代の名残で、責任を認めず何とかその場をとりつくろう習慣がついたものと説明されています。

 しかし、それだけではありません。彼らは非常に誇りが高いのです。非を認めたくないのです。それは条件反射のように中国の人々の身に染みついた習慣です。

2.己を知れば危うからず


その一、相手の立場で考える:

 日本人はあまりにも加害者意識が希薄です。被害者の立場に立ってみれば、神経質になることも理解できるはずです。高齢とは言え、被害を受けた世代の方もご存命です。

 今だに日本軍の放棄した化学兵器の被害も出ています。その度に過去を思い出し、やりきれない気持ちになることでしょう。

 相手の気持ちを思いやれば、理解できない人はいないはずです。それを言葉にしてみましょう。気持ちは必ず通じます。これが中国首脳部の気持ちをほぐす一番の原動力になることでしょう。中国では下手(したて)に出る人に対しては、大人の対応をします。

その二、先人の知恵に学ぶ:

 中国によって日本が侵略された歴史があります。元寇です。運良く台風が来たこともあり、二度の侵略を撃退することができましたが、これが原因で鎌倉幕府は滅び、足利幕府が開かれます。

 その後中国でも元が北に去り、漢族の明王朝が始まります。

 永楽帝の時には対外拡大政策がとられ北にモンゴルを討ち、海洋には鄭和を派遣して国家管理で貿易を独占しました。このやり方は、明の優越を認め、臣下であることを表明した国には交易を許すというものでした。

 臣下の国から明に対して貢ぎ物を贈り、その返礼を受けるという形を取りましたので、朝貢貿易と言います。実際には貢ぎ物より返礼の方が価値が高く巨万の富が得られましたので、足利義満は名より実を取り、速やかに「臣下」になり日明貿易が始まりました。

 欧米流の外交慣習はさて置き、会談や演説、文書の枕詞に「偉大なる中国四千年の歴史と文明を賞賛し、その恩恵に感謝する」内容を入れるのは如何でしょう。兄弟になぞらえて中国を兄、日本を弟とすると効果は倍増。大国意識で肥大化した心を「鷲づかみ!」です。

その三、歴史的視野に立つ:

 七つの海を支配した英国、次いで超大国に台頭したアメリカの流れから英語が外交を含め世界の共通語になっていますが、それは歴史の例外。「中国」には有史来世界人口の四分の一以上が住み、周辺の国や地域と漢字文化を共有してきました。

 中国語が国際語だったのです。今日でも漢字を発明した中国と、漢字文化を受け継いだ日本、韓国、それに華僑(華人)が世界人口に占める割合は四分の一です。

 日本では黒船来航まで一貫して外交文書に中国語を使って来ました。その復活は如何でしょう。中国首脳部の自尊心をくすぐり倒すことは間違いありません。

 日本国首相も、中国人の間で日常交わされる「吃飯了馬?」(注)といった柔らかい挨拶をすれば、黒木瞳のほほえみのように雰囲気が和らぐはずです。因みに、私の見るところ黒木さんは満州族に多い顔立ちですから、日中友好特別大使(仮称)に最適です。

注:「チーファンラマ?」。「馬」には口偏が付く。「口偏に馬」は疑問を表す助動詞。直訳は「飯、食った?」。親しい間柄で「お早う」、「今日は」、「今晩は」に代えて用いる。

3.綱渡りの政策

多くの人で賑わった愛知万博中国館

 中国では発展途上国の常として言論の自由が制限されています。過去の日本の侵略に対する日本の歴代首相の謝罪や、日本から巨額の政府開発援助を受けていることは中国国内で全くと言っていいほど報道されません。

 日本が米国と並んで国連の最大の資金拠出国であることも同様です。更に、日中間の経済関係の密接不可分な現状すら十分な報道がされていないのです。ところが、昨年5月の反日デモまで「反日」に関してだけは言論の自由が保障されていました。

 「反日」言論の自由は、当初デモを自然発生的に見せかけることには成功しましたが、大きな副作用が出てきました。特に「反日ネット」に自由に書き込みができたことで、言論の自由を「人民」に気づかせてしまったのです。

 自らに跳ね返ってくる危険に気づき、反日ネットを時々閉鎖したり、デモを許可しなくなりました。

4.夢の実現に向かって

 昨年10月17日、小泉首相は靖国神社に参拝しました。その前に大阪高等裁判所で特定宗教に対する支援にあたるとして違憲判決が出た為、今までのあいまいな態度をやめて「私人での参拝」としましたが、日中関係を一層悪化させかねない行為の非常識さに多くの日本人が憤りを感じました。

 なぜ、参拝の必要があったのでしょう。一説では、日本攻撃のネタを与えて、中国国内の団結を助ける日中間の密約があったといいます。「ねえ、胡さん。中国の混乱は世界経済の為に何としても避けねばなりません。

 その為なら何でもします。でも、日中関係を犠牲にするのはもうそろそろ止めてもらえませんか。今回が最後ですよ。高裁判決も出てるし・・・」といったところでしょうか。中国が国家の威信を賭けた二回目の有人宇宙飛行を成功させた日に行われたことも、この説を裏付けているように思えなくもありません。

 これが事実であれば、今年こそ日中関係が「政冷」から「政温」とか「政暖」あたりに変化してくるかもしれません。「災い転じて福と成す」ですね。えっ、ちょっと違う?

 何れにせよこの一年、互いに相手国に親しみを感じる人が増えることを期待して止みません。それにしても、夢に出てきた首相は誰だったのか、どうしても思い出せません。

つづく

写真上:中谷酒造正門の杉玉(新酒のできた印)と正月飾り
写真下:多くの人で賑わった愛知万博中国館