VOL.94 なんで靴があかんねん!

投稿日:2004年4月12日

なんで靴があかんねん!

 1841年、アヘン戦争で広州を防衛する清の将軍は、「英軍は魔法の力で勝つので、その魔法を無力にすれば撃退できる」と考えました。占いの結果、魔法の力を破るには、女性の便器が有効であることが判明しました。

 さっそく街中から女性の尿桶を集めて英国軍艦に向けました。魔法の力が上回ったのか、便器の数が足りなかったのか、英軍の圧勝に終わりましたとさ。

1.中国思想と言えば

 孔子・孟子の儒教が思い浮かびます。ところが、この思想が漢の時代に国教になってからもこれの対極とも言える思想が今に至るまで庶民生活の底流をなしているのです。

 皆さんも学校で学ばれたことでしょう、老子・荘子の教えです。水が高きから低きに流れるように自然の道理に従って生きることを説きます。一言で言えば「無為自然」と表されます。

 儒教では人、即ち治者が道徳・規律を決めていきます。対比して言うなら「有為人工」です。一方の老荘思想は「自然の道理」というあいまいなものがある為、民間信仰や迷信と結びつきやすいものでした。

 それはやがて呪術や占い、神仙術などと結びつき、道教としてまとめられます。道教は庶民に広がり、中国独特の考え方や生活風俗に少なからぬ影響を残しました。

2.新中国になって

 共産主義は計画経済が基本です。政治のみならず、経済即ち生活の分野にまで「有為人工」を求めたものでした。これは道教、或いは道教的な価値観にどっぷりひたった中国社会への挑戦でもありました。

 ところが、政策によって打破されたはずのものが意外に今も庶民の生活には生きています。世界中どこでも賭事に生きる人々は験(げん)を担ぐものですが、中国では日常生活があたかも賭博であるかのように、吉祥を求める験担ぎが多々あります。

 例えば「風水」、市場経済の浸透と共に復活しています。同様に、忌み事の迷信も身近です。

3.同音の漢字から

 贈り物に靴(中国語では「鞋」)は許されません。「鞋」と「邪」の音が同じです。

 置き時計(中国語では「鐘」)もいけません。「鐘」と「終」の音が同じです。

 「」は複数人と分け合って食べてはいけません。同音の「離」に繋がると言います。しかし実際問題として梨を丸ごと一つ食べるのはちょっと困難が伴います。

 「四」と「死」など日本に受け継がれているものもあります。

 因みに数字で好まれるのは、「八」、「九」、「六」です。「八」は「発」と同音、「発財」(儲かる)に通じます。「九」は「久」、「六」は「順」に通じます。

4.日常生活で

 急須の注ぎ口は人に向けてはいけません

 中華料理ではメインディッシュとして魚が選ばれることが多く、お頭(かしら)付きの一匹が大皿に盛られてきます。魚の頭を目上の人や客人に向けて敬意を表します。

 魚の半身を食べたあと、裏返してはいけません。その位置のまま背骨を外して残りの半身を食べます。「ひっくり返る」というのは好まれないのでしょう。

5.日本でも

 夜、笛を吹くと蛇が出てくるとか、出掛ける前に爪を切ると恥をかくとか、母に教えられました。又、婚礼祝いに刃物は「婚姻関係が切れる」に繋がるので避けるとか、北枕を避けるとか、探せば日本にも結構あるものです。

 明治になって盛んになった暦の信仰もそうです。因みに私は、仏滅の日に結婚式を挙げました。おまけに知り合いからは祝いに包丁を送って来ました。

 それでも続いているのは、その日は7月7日の七夕、愛し合う織り姫と彦星の出会う日だから・・・、そう考えるのも迷信かもしれませんね。

つづく