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魅惑の広州 その2【中国日記vol.104】

5.広東革命歴史博物館
明・清代の帆船模型 広州は太平天国から中華民国初期に至る革命の聖地です。この博物館は、清末に広東諮議局(広東の議事堂)として建てられたローマ風建築で、広東起義烈士陵園にあります。
 アヘン戦争の後、中国風にアレンジしたキリスト教団を組織して太平天国を打ち立てた洪秀全は広州郊外に生まれました。花都区には洪秀全記念館や復元生家もあります。太平天国では、清朝打倒の「滅満興漢」をスローガンに、アヘン禁止や天朝田畝制(土地を公有とし平等に土地を与える)を唱え、近代革命の先駆けとなりました。
 その乱の最中の1857年、英はアロー号事件、仏は神父処刑事件を口実に、英仏連合軍が広州を占領します。第二次アヘン戦争の始まりです。その後、英仏租界が沙面西部に設けられました。
 1905年の日清戦争敗北後、光緒帝のもとで、日本の近代国家への転換を参考に変法自強(立憲君主制の樹立)を推進した康有為は広州人です。それを支えた梁啓超は、後に中華民国の司法総長となりますが、広州で彼に出会い弟子入りしています。
 中国革命の父・孫文(中国では孫中山と呼ぶ)も広東の出身です。彼の功績を讃えて中山記念堂が建てられています。孫中山は広東人の誇りです。広州と広東は広州起義をはじめ辛亥革命、その後の北伐開始に至る革命運動の主な舞台になりました。

6.ラーメン発祥の地
鎮海楼より南東を望む 太平天国軍は、広東の西隣、広西の金田村を発して華北に攻め込みました。これを機に、中国北方の粉の文化を広州の人が知るようになりました。又、広州租界の設置により欧米のスープの文化が入ってきました。そして何よりも小麦が租界の港に揚げられるようになりました。小麦粉を練って作られた麺とスープがこの地で合体して、日本人が言うところのラーメンができたと私は考えています(「VOL.85ラーメンの起源」を参照下さい)。
 あまりに身近な食文化は記録に残りません。今となっては証明することはできませんが、そんなことを考えながら本場広東でラーメンをすすると、気分は最高です。
 ラーメンは、路地の軽食屋はもちろん、食堂、レストランなどほとんどの店で食べることができますが、皆さんのイメージ通りのラーメンを食べるには次の二つの点に注意して下さい。
 A.小麦の麺以外に米の麺(「米粉」:ビーフン)もありますので、「麺」(麦偏が示すようにこれが小麦粉の麺です)であること。
 B.スープの無い北方式も入って来ていますので、スープ(「湯」と書きます)があること。
 但し、「麺」には同じく小麦粉で作られたワンタンのようなものも含まれますし、メニューに「湯」と書いてなくてもスープが入っているものもありますので、現物を指差して注文するのが確実ではあります。

7.夜の風情
旧租界 珠江の流れの脇に建つ白天鵞ホテル(White Swan Hotel)は私のお気に入りです。ロビーに入ると巨大な吹き抜けがあり、その一階部分から地下階に人工の滝が流れ落ちています。トウ小平氏はじめ中国の要人、エリザベス女王、その他著名人が訪れています。
 路地側の門を出るとそこは旧租界、ライトアップされた欧風建築の整然とした街並みは何ともロマンティックです。客室から珠江を見下ろすと、行き交う船の灯り、対岸に広がる街の夜景がしっとりと見えます。この流れがこの街の繁栄を生み、人々は争奪と破壊、そして再生を繰り返して来ました。滔々たる流れが、また今の平和な繁栄を見守っています。

この号終わり

写真4:明・清代の帆船模型(広州博物館)
写真5:鎮海楼より南東を望む
写真6:旧租界