第9話 万博の想い出【アラカン社長の徒然草vol.12】

 上海で万博が開かれています。その入場者数が過去最高の大阪万博を超えるか、関心を集めています。

 1970年に開催された大阪万国博覧会は六千四百万人の入場者を集めました。その記録は40年間破られていません。筆者は当時10歳。小学5年生でした。

 1.大阪万博のテーマ

 「人類の進歩と調和」。日本は戦後の高度経済成長の絶頂期。自家用車、クーラー、カラーテレビが各家庭に普及しました。これからどれほど豊かになれるのでしょう。日本は世界中に工業製品を輸出し、世界に「MADE IN JAPAN」が広がって行きます。日本はどこまでも発展するように思えました。誰もがバラ色の未来を夢に描き、その素晴らしい未来の一端を万博に見ようとしていたのです。当時、日本中が万博に熱狂していました。入場者の97%は日本人でしたから、単純計算では日本人の56%が行ったことになります。

 2.テーマソング

 「世界の国からこんにちは」。1967年に発売されるとたちまち大ヒット。三波春男の歌声は日本中に鳴り響き、NHKのど自慢では毎回誰かが歌っていました。

 演歌歌手としてはピークを過ぎていた三波春男の人気が盛り返したことは言うまでもありません。歌が一人歩きし、万博が始まったころには万博と直結するイメージが薄らいでいたほどでした。私の姉は高校生になった頃に、久々にテレビで三波春男が歌うのを聞いて、「これ、万博の歌やってんなあ」と言っていました。

 3.遊園地感覚

 最寄りの郡山駅から会場までは電車で1時間ほどと近く、家族で訪れたのみならず、小学校の遠足行事でも出かけました。おそらく近畿圏の住民なら三回くらいは行ったはずです。

 夕方からの割引入場券もあり、サラリーマンが帰りがけに世界の料理と世界の酒を楽しみに行くといった使い方もされていました。

 アメリカ館の月の石とアポロ宇宙船、ソ連館のソユーズ宇宙船が人気の双璧。三時間待ちが当たり前でした。行く度に幾つものパビリオンを回り、パンフレットを集めます。持ち帰ったパンフレットの山は15センチ位の厚みになり、引き出しからはみ出してしまいました。

 外国人が珍しい時代でした。遠足で行った時には近くに座っていた金髪のおばさんのところに何人かで行き、「サイン、サイン」と言って、ノートにサインしてもらいました。家に持ち帰ると、名前の下に「SWITZERLAND」と書いてあることを母に教えてもらいました。スイス人だったのです。

 4.冒険旅行

夏休みの宿題の太陽の塔 夏休みには一人でも行きました。帰りは夕立の落雷で地下鉄も近鉄電車も止まってしまいました。電車は動き始めたのですが、ダイヤが乱れて行き先もまちまち。途中までしか行かなくても奈良方面に乗り継いで行けば帰れることは知っていたのですが、何せ日頃電車に乗る習慣がありません。駅員に確認して各駅停車に乗り、暗くなってから帰り着くことができました。ホッとしたのはもちろん、ちょっと大人になった気がしました。ちょうど11歳になったところでした。

 夏休みの工作の宿題は、太陽の塔をデザインした木製のスプーンにしました。

 5.人間洗濯機

1996年、万博公園で開かれたウルトラマンショー 大阪万博では、企業の展示館も充実していました。三洋電機のサンヨー館では、自動洗浄風呂を鮮明に覚えています。透明な浴槽に水着を着た女性が入ると、水流が起き、百個ほどのピンポン球のようなスポンジが当たって体をキレイにしてくれるのです。いってみれば人間洗濯機です。

 入浴時は裸になるべきものですから、女性が水着を着ていることを不思議に思いました。大きくなってから公衆の面前で裸体を曝すと罰せられることを知り、疑問は解消しました。現在に至るまで不思議なのは未だに製品化されていないことです。

 上海万博を機に、昔のことを懐かしく思い出すことができました。さて、上海万博に行くべきかどうか。都市気候と内陸気候が複合した上海の猛暑と、中国人の人混みに耐えられるかどうかが鍵となりそうです。

第9話終わり

写真1:夏休みの宿題の太陽の塔
写真2:1996年、万博公園で開かれたウルトラマンショー

2010年7月
中谷酒造(株)代表取締役  中谷正人