第52話 神器の創造と変遷 <前編> 【アラカン社長の徒然草vol.61】

 歴代天皇が継承する「三種の神器」(さんしゅのじんぎ)は、古事記に書かれた神話の中で「天孫」(てんそん。太陽神アマテラスの子孫)ニニギが「降臨」(こうりん。天から地上に下ること)してもたらした鏡、剣(つるぎ)、曲玉(まがたま)の三宝を指します。
 ただ現実として、古事記が書かれた8世紀の時点では鏡と剣の「二種の神器」でした。不思議なことにその剣は二種類あります。一つはフツミタマの剣。もう一つはアメノムラクモの剣(別名クサナギの剣)。
 神話と神器が創られた経緯と理由、神器が祀られる場所とその変遷をたどって行きましょう。
(注:以下の分析は、8世紀初期に完成した古事記、日本書紀(以下、記紀)を基礎にしています。仮名が発明される前ですから両書は全て漢字で書かれています。固有名詞も漢字の音を使った表記で、当てはめた漢字が両書で異なることがありますので、読者の便宜のため基本的にカタカナで表記します。但し、天皇名は奈良時代後期から使用される漢字表記のおくり名を使います。)

1.神器の創造

出雲王朝出現まで栄えた唐古鍵遺跡出土の勾玉 先ずは神器が考え出された理由から入りましょう。
 中国では王朝の交代を「革命」として肯定します。即ち、滅んだ王朝の皇帝に徳がなかった為に天命が革(あらた)まり、新しい王朝ができたとします。王朝間の連続性は天命によって断たれます。新しい王朝は、その正当性を天によって与えられたとします。
 一方、日本では新しい王朝はその前の王朝の神話や歴史を自身の歴史に組み込む「万世一系理論」によって正統性を持たせます。王朝の連続性を仮想することによって新しい王朝の権力基盤を安定させる方法です。
 この考え方で編まれたものが記紀です。神武(じんむ)天皇に始まる天皇の血筋が一貫して日本を統治してきたとされました。それを証拠立てるものとして「神器」を考案しました。「私は正統なる後継者である。その証拠に神世(かみよ)から受け継がれてきた神器を持っている。」という訳です。
 賢明な読者の皆様には申し上げるまでもないことですが、「神世から受け継がれてきた神器」など実在するはずもありませんし、前政権がやすやすと神器を渡してくれるはずもありません。神器はあくまでも概念上のものです。天皇家でも、神器を祀る各々の神宮でも、神器を象徴する形ある物として剣や鏡を持っているのです。

2.王朝の変遷

 4つの王朝が奈良盆地に生まれ、その4番目の王朝が現在に続きます。
 先ず2世紀末に出雲系王朝ができます。同時期に始まる纏向(まきむく)遺跡からは山陰と北陸の土器が17%出土します。この王朝の王墓は母国・出雲に造られました。その墳丘は四隅が突出した特殊な形状です。
 80年ほど経ちますと北部九州から邪馬台国(ヤマト国)が東征してきて新たな王朝を立てます。この王朝を特色づけるものは、前方後円墳、鏡、太陽信仰、絹です。記紀は二人の初代天皇を記します。神話時代と歴史の間に位置する神武天皇、歴史時代の崇神(すじん)天皇です。後者に因んで崇神王朝としましょう。
 それから140年ほど経った5世紀初め、再び九州から秦氏と共に東征してきた応神(おうじん)天皇に始まる王朝がこれに代わります。特色は、巨大前方後円墳、大土木工事、鉄製甲冑、馬具、鉄製農具、須恵器、機織り、畑作の普及です。この王朝の天皇は「物部」(もののふ)と形容されることから物部(もののべ)王朝としましょう。物部(もののべ)氏自体が天皇家であったことは第24話「物部氏と百済」(2012年4月)で論じました。
 約百年後、西暦507年に即位する継体(けいたい)天皇に始まる王朝は蘇我王朝です。物部氏が5世紀の天皇家であるならば蘇我氏も次の天皇家と考えられることを第38話「蘇我王朝と物部の血」(2013年8月)で論じました。

3.最初の王朝交代

出雲の四隅突出型古墳模型(弥生の森3号墓) 記紀によれば初代神武天皇は九州から東征し、奈良盆地に入ります。ニギハヤヒ神を信じる登美(とみ)一族(出雲系王朝)は、神武が太陽神アマテラスの子孫であることを知り服従します。
 ニギハヤヒ(饒速日)信仰は、太陽信仰でした。それは出雲系王朝の王・登美ナガスネヒコの主要拠点であり、神武勢との最初の戦場に近い「草香」(くさか。日下に同じ。大阪府東大阪市日下町)の地名からもうかがえます。「くさ」は猛々しいこと。「か」は日を意味します(第1話「死んだはずだよおトミさん」前編2009年8月)。
 「太陽神アマテラスの子孫」を共通して意識した、即ち何れも太陽神を信仰していました。
 日本書紀では、初代天皇・神武が大物主(おおものぬし。出雲の神・大国主に同じ)の孫・ヒメタタライスズ姫(古事記では、大物主の娘)を娶ったとします。神武は神話と歴史の間に位置する天皇です。姫の名の「タタラ」は製鉄の溶鉱炉、「イスズ」は水辺に鈴なりになる原料の褐鉄鉱。出雲の製鉄技術を、2番目の王朝が継承したことを意味します。二人の間に生まれるのが第二代綏靖(すいぜい)天皇です。出雲系から崇神へ、二つの王朝間を接続する神話が創られたのです。

4.最初の神器

 崇神王朝はフツミタマという名の神剣を創りました。フツミタマの剣は、神武が登美ナガスネヒコを征伐する過程で、窮地を脱する時に使われました。
 又、共通の太陽神を象徴する神器としての鏡は創ったと思われます。2番目の王朝が造営した前方後円墳には多くの鏡が副葬され、鏡への嗜好が明確です。この点については、中編「11.神器鏡の再生」で触れます。
 実は、この時点では共通の太陽神をアマテラスとは呼んでいません。アマテラスは7世紀末、藤原不比等(ふひと)と持統(じとう)天皇が生み出した名称です(第41話「皇祖神アマテラスの創造」2013年11月)。
 崇神王朝は太陽神を何と呼んでいたのか。ニギハヤヒと呼んだはずです。それは次の物部王朝にもニギハヤヒ信仰が引き継がれたことで解るのです。

5.降臨神話

出雲系王朝が信仰した聖なる山・三輪山 3番目の王朝の物部氏は、ニギハヤヒと出雲系王朝最後の王・登美ナガスネヒコの妹の間に生まれたウマシマジを祖先神とします。物部氏も前王朝の神話を受け継いだことを意味します。
 物部氏は、前王朝の歴史も自身のものに組み込みました。崇神王朝最後の仲哀(ちゅうあい)天皇と神功(じんぐう)皇后の間に生まれた応神(おうじん)天皇が物部王朝初代です。やはり王朝間の接続神話を創ったのです。それは王墓の形状として前方後円墳を継承したことで裏付けられます。
 今日、物部氏ゆかりの石上(いそのかみ)神宮(奈良県天理市)は、ニギハヤヒが天から地上にもたらした十種神宝(とくさのかんだから)を祀ります。冒頭、ニニギが天孫降臨によって三種の神器を地上にもたらしたことを述べましたが、それに先だってニギハヤヒが天より降臨する神話が創られていたことが解ります。
 十種神宝は、鏡2種、剣1種、玉4種、比礼(ひれ。振ることによって力を持つ、神事に用いる道具)3種です。
 石上神宮はフツミタマも祭ります。フツミタマの剣は、王朝間で受け継がれる初めての神器になったのです。
 物部王朝は十種神宝とフツミタマの剣を祀る社(やしろ)を建てました。それが石上神宮の前身です(第25話「物部氏と石上神宮」2012年5月)。

6.物部王朝の神話と歴史

 私はここで不思議な既視感にとらわれました。
 ニギハヤヒ神の降臨、ニギハヤヒと前王朝最後の王の妹との結婚、生まれたのが継承者・ウマシマジ。
 上記「3.最初の王朝交代」では、神話と歴史の間に位置する神武天皇と大物主神の(孫)娘との結婚、生まれたのが継承者・綏靖天皇。
 記紀は8世紀初頭、藤原不比等(ふひと)によって編まれたものです。それは当初の神話と歴史に先ずは天武天皇が手を加え(中編で触れます)、更に不比等が大きく手を加えた(後編で触れます)ものです。最初の王朝交代における王朝間の接続神話の形は、後に創られたであろう神武天皇をニギハヤヒ神に読み替えることによって復元することができます。
 この当時、天皇の呼称はまだ使われていませんが、天皇という語を使うとすれば次の通りです。
 ニギハヤヒ神(後に神武天皇に改変)は天より地上に下り、出雲系王朝の王・大国主(大物主)に国譲りを迫ります。国が譲られ、ニギハヤヒと大物主の妹が結婚し、新王朝の初代・ウマシマジ(後に綏靖天皇に改変。実態としては崇神天皇)が生まれます。
 崇神王朝が終末を迎え、再び王朝間の接続神話(崇神王朝最後の仲哀天皇と神功皇后の結婚)を挟んで物部王朝に繋がるのです。整理すれば次の通りです。

太陽神ニギハヤヒ(神武天皇)の降臨
  ↓
大国主(大物主)の国譲り(出雲系王朝の滅亡)
  ↓
ニギハヤヒ(神武天皇)と大物主の妹の結婚、
ウマシマジ(崇神天皇)の誕生(王朝間の接続神話)
  ↓
崇神王朝の成立(フツミタマ剣、鏡の創造)
  ↓
仲哀天皇と神功皇后の結婚、
応神天皇の誕生(王朝間の接続神話)
  ↓
物部王朝の成立(フツミタマ剣の継承、十種神宝の創造)

<中編>へ続く

写真1:出雲王朝出現まで栄えた唐古鍵遺跡出土の勾玉
写真2:出雲の四隅突出型古墳模型(弥生の森3号墓)
写真3:出雲系王朝が信仰した聖なる山・三輪山

2014年10月
  中谷酒造(株)代表取締役  中谷正人