金刀比羅宮<第三編>金比羅信仰 vol.32

投稿日:2007年7月10日

<酒蔵の様子>

1.全国新酒鑑評会の結果

 金賞酒を楽しみにされていた方には申し訳ないのですが、0.01ポイントという僅差で金賞を逃し、入賞に終わりました。最少差ですので悔しさが募ります。来年こそはと決意も新たに、又一年精進します。

2.酒米の様子

成長する苗

 梅雨明けを控えて、雲の切れ間からは暑い夏の太陽が顔をのぞかせます。

 先月田植えした山田錦の苗は、雨水と気温に助けられて、順調に生育中。日々背を伸ばし、緑も濃くなっています。今年の夏も暑くなりそうです。

 昨年このように栽培し収穫した山田錦だけで造った純米吟醸酒は、酒蔵で熟成中です。鑑評会出品用の香り高い酵母で醸し、熟成により皆様の期待を裏切ることのない香りと味の重厚なハーモニーを実現します。秋に新製品として発売予定です。もう4ヶ月、お待ち下さい。

写真:成長する苗

<今月のテーマ>

今回は、金刀比羅宮の第三回目。金比羅信仰の実態に迫ります。お楽しみ下さい。

金刀比羅宮<第三編> 金比羅信仰

7.金比羅信仰

賢木門(明治11年築)

 松尾寺は真言宗の寺ですから、諸仏の御利益が金比羅信仰の基礎にあり、それに航海の安全を祈る要素が加わりました。船乗りの支持を得て、信仰は日本各地に広まりました。又、松尾寺創建以前から象頭山に伝わる信仰と結びつき、雨乞いの神として農民の信仰を集めました。

 更に、広重の「東海道五十三次 沼津」に金比羅参りの人が天狗の面を背負っている姿が描かれたように、山岳信仰の要素も含んでいました。密教と山岳信仰は近い関係にあります。

 江戸時代、「娯楽としての旅」が盛んになります。旅の目的は、道中の景色、異国情緒や食べ物を楽しむことに主眼がありました。参拝も具体的な祈願というよりも、諸仏に手を合わせて「何かしらの御利益を願う」ものだったはずです。「金比羅参り」とは言うものの、仏に埋もれて「金比羅大権現」を意識することさえなかったかもしれません。

 石段を登って仁王門(現大門)を入った参拝者は、金光院(現書院)で御札を買い求めました。御札は、参拝の証拠であると同時に、高額の旅費を使って遊んだことへの免罪符の意味もあったのでしょう。江戸時代の参拝絵図で一番賑わっているのがこの場所です。

旭社(元金堂)

 参拝者は、右手にそびえ立つ多宝塔を見ながら石段を登って金堂(現旭社)に至り、薬師如来像と諸仏を拝みました。金堂は境内で一番立派な建物で、参拝のハイライトでした。

 更に最上段まで石段を登ると、本宮と観音堂、釈迦堂などがありました。参拝者は讃岐平野の眺望を楽しみ、休憩しました。本宮には金比羅大権現を祀っていました。金比羅大将(くびらたいしょう)が金堂を見下ろす位置から薬師如来を守護している構図です。

8.十一面観音

観音堂には十一面観音像を祀っていました。本地垂迹説によって金比羅大権現は十一面観音がその姿を変えたものとされました。

 最初、金比羅大権現創造の時には金比羅大将という仏の守護神から発案されたものが、十一面観音という上級の仏そのものと結ばれた理由が気になるところです。

 おそらく、松尾寺には宝物とも言える平安時代作の十一面観音像がありましたので、これを利用することで金比羅大権現信仰の伝統を偽装し、尊さを高めようと考えたのでしょう。この像は参拝絵図を見る限り秘仏とされていたようで、塀で囲まれた観音堂は扉を閉じています。

<第四編>(最終回)へ続く

写真上:賢木門(明治11年築)
写真下:旭社(元金堂)