酒造り、柿と法隆寺 vol.119

投稿日:2014年10月31日

<蔵の様子>

蒸米の湯気が立ち昇る酒蔵

 今年収穫した山田錦は、酒米専用の精米機を持つ精米所に出しました。11月12日、精米を終えた米が搬入される予定です。この米で奈良吟、吟生の仕込みも始まります。

 酒造りは冬の仕事です。今、最盛期を迎えました。

 朝は冷え込み、米を蒸す湯気は白く上がり、そして空に消えて行きます。

蒸米の放冷作業

 蒸米の温度を告げる声が上がり、ボイラーは低音を響かせ、酒搾りのコンプレッサーは間欠的にけたたましく鳴ります。

 仕込蔵に並んだタンクの中では発酵が進んでいます。もろみから甘い果物の香りが立ちのぼり、部屋は芳香に包まれています。10月30日は初搾り。今月からしぼりたて生原酒、濁り酒など、新酒の出荷が始まります。

<酒造りの季節と柿>

柿と瓶詰蔵

 奈良盆地では家の庭に柿を植えています。この季節、柿の木は葉を落とし、柿の実が鮮やかな朱色に染まります。

 中谷家でも裏の畑に何本か、瓶詰蔵の隣にも一本の柿の木があります。酒造りが始まる10月に色づき始め、収穫は毎年12月です。甘くて美味しい柿で、蔵人のおやつにもなります。柿はビタミンが豊富で、美容と健康に貢献しています。

 柿と言えば、次の俳句を思い浮かべます。
 「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」

 正岡子規が明治28年(1895)10月に奈良を訪れた時に詠んだ句です。紅葉、秋の日差しに照る柿の実、法隆寺の落ち着いた佇まいが目に浮かんできます。法隆寺は、中谷酒造から8キロほどのところ。見渡せばあちこちに柿が稔っています。

法隆寺

 ところで法隆寺。7世紀に建てられた建物が木材も当時のまま今日まで残りました。世界最古の木造建築として、世界文化遺産に登録されています。女帝・推古天皇の摂政・聖徳太子が祀られ、信仰の対象として大切にされたことが最大の要因。又、奈良盆地は自然災害が少ないことも幸いしました。

 推古天皇と聖徳太子の時代、中国は隋王朝の最盛期です。随では仏教治国策(仏教を使って国を治める)が行われていました。都の大興にはその中心として立派な寺・大興善寺が建てられました。日本にも仏教治国策を導入すべく、天皇の宮殿の隣に斑鳩寺を建設しました。斑鳩寺は残っていませんが、その横に建てられたのが法隆寺です。

 中国の歴史書・随書(ずいしょ)の東夷倭国の条には次のように書かれています。

 「大業三年,其王多利思比孤(タリシヒコ)遣使朝貢。使者曰聞海西菩薩天子重興佛法,故遣朝拜,兼沙門數十人來學佛法。」(607年に倭王タリシヒコは、中国の皇帝が仏法を盛んにしていると聞き、使者を派遣すると共に、仏法を学ぶ者を数十人同行させた)

 同年は推古天皇15年ですが、「タリシヒコ」の「ヒコ」は「彦」のこと。即ち男性です。女帝であることを隠したのか、聖徳太子が事実上の王(天皇)だったのか、そんな疑問が浮かびます。謎解きは歴史を知る楽しみの一つです。

 秋は夜が長く、読書が進みます。筆者は古代史の書物を読み、思索に浸るのが趣味です。簡単なアテと清酒を机の上に用意して、ちびりちびりとやります。

 「白玉の歯にしみとほる 秋の夜の 酒はしづかに 飲むべかりけり」(若山牧水)

写真1:蒸米の湯気が立ち昇る酒蔵
写真2:蒸米の放冷作業
写真3:柿と瓶詰蔵
写真4:法隆寺