賀正、樽の普及と三度目の正直 vol.169

投稿日:2019年1月11日

<酒蔵の様子>

中谷家玄関の正月飾り・どうがん

 新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。

 昨年は清酒消費が年間で7%も減り、清酒業界は存続の危機とまで言われましたが、年末年始の清酒需要は底堅いらしく、12月は出荷に追われました。

 年末は姉、弟、愚息も帰省し、皆の協力を得て30日は餅をつき、31日は正月飾りのどうがん作り。竹の上部を斜めに切った門松は、徳川家康が武家に広めたものです。庶民の正月飾りは竹を横に飾るものです。奈良盆地北部では横にした竹を芯にした注連縄(しめなわ)を玄関に飾ります。それがどうがんです。コンバインで稲を刈り取るようになってから稲藁(わら)は貴重です。近年はどうがんを作る家は各集落に1,2軒といったところでしょうか。興福寺では数年前に復活させています。

店の鏡餅と灯明皿

 お節料理作りは29日から棒鱈、数の子など時間の掛かるものを先行し、31日まで2日半で仕上げました。その夜は除夜の鐘と共に賣太神社(めたじんじゃ)に初詣。

 元旦は晴れ。無事に正月を迎えられ、ほっと一息。家族そろって祝うことができました。

 2日午前は、新しく復元なった興福寺の中金堂参観。商売繁盛と無病息災を祈りました。昼は来客があり、家族ともども12人で大宴会。正月気分を満喫できました。

 4日は仕事始め。5日は今年最初の定期蔵見学会がありました。正月気分も一掃。今年も一年頑張ります。

<今月の話題> 樽の普及と三度目の正直

興福寺中金堂のリーフレット

 15世紀、清酒は樽に詰めて輸送されるようになりました。桶や樽の側板作りには正直(しょうじき)と呼ばれる大きな鉋(かんな)を裏返したような道具が使われますが、「技術と文明20巻1号(42)『桶・樽の出現と制作技術に関する進化』石村真一」によりますと、「正直は、15世紀末に制作された『三十二番職人歌合』の画中に認められることから、15世紀後半あたりに普及したとすべきである。」とあります。

 輸送容器が甕(かめ)から樽に替わるには規格化されたサイズの樽を容易に、大量に作れることが前提条件です。その為には鉋(かんな)と正直が必要です。これらはローマ時代にヨーロッパで使用が始まりヨーロッパで発達したもので、中国や日本では槍鉋(やりがんな)と呼ばれる長い柄の付いた包丁のようなものを使っていました。鉋と正直の日本への伝来は大航海時代と関係がありそうです。

 大航海時代は、モンゴルが中国を征服し、元王朝(1271-1368年)を建てたことに始まります。首都大都(だいと)を草原地帯と農業地帯の境目である今の北京の位置に置きましたので、食糧を江南から運ぶ必要があったのです。モンゴルが中国に入る前も金という女真族の国が中国北部を支配していましたので、大運河は使われない内に一部が埋まっていました。食糧は江南から東シナ海を船で運ばなければなりません。羅針盤が発達し、造船技術も向上しました。モンゴルは世界帝国でしたので、中国から東南アジア、インド、アフリカ東岸まで、多数の交易船が行き交う大航海時代が始まったのです。遠方への航海には飲料水が必須です。樽は衝撃に強く、密封にも便利です。この時期に鉋と正直が中国に伝わったはずです。

 次の明の時代、鄭和の大航海が行われました。第一次が始まる1405年から第七次が終わる1433年まで、鄭和は東南アジア、インド、アフリカ東海岸まで大船団を率いて遠征しました。

 中国で大航海時代が始まってから二百年後、ようやくヨーロッパの大航海時代が始まります。バーソロミュー・ディアスの喜望峰発見は1488年。同年にペーロ・ダ・コヴィリャンは地中海から紅海を経てインドに到達。コヴィリャンの報告を受けてヴァスコ・ダ・ガマが派遣され、喜望峰回りで1498年にインド西海岸のカリカットに到達します。

中谷酒造の正直(切れ欠けに刃が付き、地面に固定して使う)

 「三十二番職人歌合」の中に描かれたことから、日本では15世紀終わり頃には既に樽が普及していたことが解ります。これは清酒発祥の地・正暦寺の全盛期とも一致します。正暦寺は日本最大級の荘園領主であった興福寺のいわば清酒工場です。中谷酒造のある番条集落は、正暦寺の酒を積み出す河川港として15世紀に正暦寺の本所である興福寺によって整備されました。

 円形の底板と蓋を囲む側板の材は、木の中心から外側に「みかん割り」したものを年輪に沿って縦割りにしたもので、断面は既に扇型です。正直は、側板どおしが接する面を削るのに用います。一度目は、面を平らにします。蓋の直径は底板より大きく、二度目は、それに合わせて下部に向かって斜めに削ります。三度目は、接する面と外面の角度を調整します。

樽の直径に合わせて作られた木型にピタリと合うまで削ります。「三度目の正直」という慣用句の成り立ちは不明とされていますが、私はここから生まれたことに気付きました。元の意味は、「三度目でピタリと当たりを出す」のはずです。

 樽の高さは55センチですが、発酵に使う桶は1.5メートル程もありますので使う正直は更に大きくなります。桶作りに使われた長さ2.3メートルの正直の現物は中谷酒造の米蔵にあります。皆様には蔵見学の時に見ていただいています。

写真1:中谷家玄関の正月飾り・どうがん
写真2:店の鏡餅と灯明皿
写真3:興福寺中金堂のリーフレット
写真4:中谷酒造の正直(切れ欠けに刃が付き、地面に固定して使う)