第3話 天国?

投稿日:2009年11月06日

第3話 天国?

 テレビを見ていますと、「天国から見守ってくれていると思います」とか、「天国で幸せに暮らして下さい」などと、「天国」という言葉がやたらと使われます。果たしてこの「天国」、何を意味しているのでしょう。

1.「天国」

聖徳太子創建の四天王寺(大阪市天王寺区)

 1963年、黒沢明監督の「天国と地獄」という映画が公開され、大ヒットしました。原作は警察を舞台にした推理小説で有名なエド・マクベイン(Ed McBain、1926-2005)の「KING’S RANSON」(邦題「キングの身代金」)です。

 黒沢は、巧みなストーリーを見事に映画化。主役の三船敏郎、仲代達矢の演技も光っていました。身代金の受け渡しシーンは撮り直しがきかない緊迫の撮影だったそうで、そんなことも当時話題になったそうです。

 私は何年か前に飛行機の機内ビデオで見ましたが、素晴らしいものでした。

 おそらくこの映画の流行を機会に日本人の間に「天国」という言葉が普及したものと思われます。因みにこの映画タイトルの英訳は、「UP AND DOWN」。見事です。

 キリスト教が信じられている社会では、死んだ後に行くところとして「天国」(HEAVEN)があり、悪人は「地獄」(HELL)に行くことになっているそうです。

 キリスト教を信じない人は「天国」に行けず「地獄に落ちる」とも言うらしく、やっかいな概念です。イスラム教にも同じような概念があるようですが、何れも一般的な日本人には馴染みはありません。

「HEAVEN」を訳した「天国」という言葉は、日本語の「あの世」に代えて用いているものと思われます。

2.天上

 我々日本人は、「あの世」に代えて「天」とか「天上」という言葉も使います。この言葉は、仏教から来ています。「あの世」に代えて「天国」を使う日本人が増えた原因は、この言葉との混同にありそうです。

 古来インドでは、輪廻(りんね)という考えがありました。我々は、死んだ後は生まれ変わって次の一生を過ごします。そうしていつまでも生死を繰り返します。人に生まれるとは限りません。動物かもしれないのです。

 この輪廻の考えが仏教に取り入れられ、我々は地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六界(ろくかい)の間を生死を繰り返して廻るとされました。「天」、「天上」はこのことです。どうせ生まれ変わるなら苦しみの少ない「天上」に生まれ変わりたいのが人情です。

 ただ、悲恋に終わった男女間では「生まれ変わったら一緒になろうね」ということで、「人間」が望まれます。

3.極楽浄土

 「天上」がキリスト教やイスラム教の「天国」に相当するかと言えば、そうでもありません。「天上」と言えども生・老・病・死の四苦(しく)があるのです。それなら、いつまで経っても我々は輪廻から逃れられないのでしょうか。

 我々は、死後安楽に過ごせることを祈るにあたって「往生(おうじょう)できますように」とか「極楽にいけますように」といった表現を使います。日々の生活でも「往生際が悪い」とか、温泉につかって「あー極楽!」と言うこともあります。

 「極楽」とは極楽浄土のこと。「往生」とは死んだ後、六界の輪廻を脱出して極楽浄土に生まれ変わることです。極楽浄土では容易に悟りが拓け、永遠の平安が得られるのです。

4.浄土

クルマ好きの極楽(鈴鹿サーキット2009年全日本学生ジムカーナ)

 実は、浄土とは悟りを開いた人の居る場所のことで、悟りを開いた人の数だけ存在します。その中で極楽浄土だけが有名になったのはどうしてでしょう。

 仏教を始めた仏陀は、悟りの境地に達して現世の苦しみから逃れることを教えました。しかしその悟りの方法は残してくれませんでした。

 ひょっとしたら仏陀のような特別な人だけが悟りを開けるのであって、多くの人は救いを得られないかもしれません。やがて仏陀の教えが広まるにつれて、誰もが救われるという教えに変わって行きました。

 浄土に往くにはどうすれば良いのか、その方法が唯一、阿弥陀如来の言葉として経典に書かれています。その方法とは、「十回念仏を唱えること。そうすれば自分(阿弥陀如来)の浄土に生まれ変わることができる」というのです。

 その阿弥陀如来の浄土を「極楽浄土」と言います。往く方法が解っていて、しかも容易に往けるということで、極楽浄土が浄土の代名詞になりました。この考えは、鎌倉時代に始まる浄土宗、浄土真宗などによって日本人に広まり定着することになりました。

5.現世の幸せ

憧れの応援部リーダーと華のチアリーダー(同上)

 厳しい現実の世界からどう逃れるか、立ち向かうか、そんなことで悩む日々。それは仏陀の時代も同じでした。仏陀は出家して、現世を離れて、心の平安を得ることができましたが、女房子どもを捨てることなど私にはできそうもありません。

 私の場合、特に信心深い訳でもありませんので浄土とも天国とも縁がありません。私の往く末は、単なる「あの世」です。

 さて現世。身近な「極楽」を発見しました。スーパー銭湯「極楽湯」。月に一度くらいはゆっくりつかって、隣のスーパーで冷たいビールとつまみを買って帰宅。ビールの後は冷酒に移ってしっかり晩酌。これが「青い鳥」というやつに違いありません。

終わり

写真上:聖徳太子創建の四天王寺(大阪市天王寺区)
写真中:クルマ好きの極楽(鈴鹿サーキット2009年全日本学生ジムカーナ)
写真下:憧れの応援部リーダーと華のチアリーダー(同上)