第4話 日本の焼き物 前編

投稿日:2009年12月04日

日本の焼き物

1.縄文土器

 日本列島は、世界で最も早くから焼き物が作られた地域の一つです。縄文土器は、窯(かま)を使わず平地や地面を掘り下げた窪地で焼かれ、一般に厚手です。時代が下ると縄で模様が付けられましたので、その呼称が一般化しました。

 青森県の大平山元(おおだいやまもと)遺跡から発掘された土器は、放射性炭素測定法で1万6500年前のものとされました。その時代は氷期で海水面は低く、大陸と日本列島は陸続きでした。

 地球物理学の権威・竹内均(1920-2004)氏は、「NEWTON別冊 日本人のルーツ」(2000年6月発行)の中で、「今から約1万4000年前には、「インド・満州型」と呼ばれる血液型Bの多い人たちが、シベリアから樺太(サハリン)・北海道を経て日本へやってきた。」と書いています。

 年代には2500年の差がありますが、放射性炭素測定法の誤差や新規発掘による修正を勘案すれば、竹内氏の主張は縄文土器の発生に重なります。大陸から移住した人々によって土器と製法が日本にもたらされたのでしょう。

 この血液型Bを含む人々が来るまで日本列島に住んでいたのは原モンゴロイドと呼ばれる人々で、血液型はOのみでした。新しくやってきた人々は、ユーラシア大陸北東部に住む間に寒さに適応した形質を身につけた新モンゴロイドです。

 新モンゴロイドも元々血液型はOのみでしたが、バイカル湖近くに住む者の中から突然変異でBが現れたのです。この人々は細石刃(さいせきじん)と呼ばれる石器ももたらしました。

2.弥生土器

薬師寺講堂瓦(嘉永五(1852)年)

 約1万年前に氷期が終わり、温暖な気候が現在まで続いています。しかし、時々寒冷な時期が訪れ、飢餓、食糧を求める人口移動、そして紛争が起き、時には文明を崩壊させ、新たな文明を生み出しました。

 例えば4200年前に始まる寒冷な時期は中国の黒陶文化を崩壊させ、その後に生まれたのが黄河文明です。

 約2900年前にも寒冷化が始まりました。中国は周王朝の時代です。紀元前842年には王が都を追われ、それまで連綿と書き続けられた国家の記録が逸失するほどの混乱が起きます。

 その後も、遊牧民が牧草や食糧を求めて周の領土を度々侵しました。紀元前771年、周王室の内紛に遊牧民犬戎(けんじゅう)が介入し、王が殺されます。周の権威は落ち、有力国が覇を競う春秋戦国時代になります。

この寒冷化と乾燥化は麦作地帯を南へ、稲作地帯も南へ押しやり、人口移動の玉突きを引き起こしました。稲作農民の一部は日本列島や朝鮮半島南部へ移住しました。日本列島に一万年以上続いた縄文時代は終わり、弥生時代が始まります。

 日本に移住し、水田稲作をもたらした人々を弥生人と言います。弥生人がもたらした焼き物が弥生土器です。弥生土器は縄文土器よりも高温で焼かれ、褐色で、薄く硬いのが特色です。

 弥生人も新モンゴロイドでした。氷期の間に中国南西部の雲南のあたりでは突然変異によりAの血液型を持つ者が生まれていました。その人々は気候が温暖になるにつれ東に拡がり、水田稲作を行うようになりました。弥生人は日本列島に血液型Aをもたらしました。

前編終わり

写真上:ギリシャ紀元前5世紀のコリント陶器皿(複製。直径285mm)
写真下:薬師寺講堂瓦(嘉永五(1852)年)