第17話 高速鉄道

投稿日:2011年8月03日

 物資輸送は、水運が基本です。鉄道が発明されると、いわば陸上の運河として鉄道が活用されます。アメリカ大陸横断鉄道、シベリア鉄道といった長距離のものを思い浮かべれば、そのイメージは明確になります。

 身近なところで言えば、大和川の水運で結ばれた奈良盆地と大阪間の輸送は、明治時代に建設された国鉄(現JR大和路線)によって取って代わられます。戦後は更にトラック輸送が主流になりました。

 鉄道が敷かれますと人の往来も便利になり、鉄道で結ばれた沿線都市は発展し、やがて運行速度が上がります。「もっと早く、もっと便利に」という欲望が高速鉄道を生み出す原動力になりました。

あじあ号(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

 アジアで最初に高速鉄道が走ったのは1934年。その機関車あじあ号は、日本の技術によって造られた蒸気機関車で、最高速度は時速130キロ。大連・新京間の701キロを8時間30分で結びました。

1.新幹線

 戦前から欧米先進国では日本を遙かにしのぐ高速の蒸気機関車が造られてきました。戦後は電車の時代に変わります。日本は国産技術による高速鉄道開発を目指しました。

 1964年10月1日、東海道新幹線が開通しました。ひかり号の最高速度は200キロ。東京・大阪間を3時間10分で結びました。開業当初は「夢の超特急」と呼ばれ、戦後復興の象徴となりました。

 更に40年以上にわたって技術を磨き、路線を増やし、最高速度を300キロに高め、おまけに一度も人身事故を起こすことなく安全運行を行ってきました。

 それは、車両性能のみならず運行システム、安全管理のノウハウを加えた総合的な技術力によって成し遂げられたものです。

2.中国への技術供与

 1990年、中国は高速鉄道建設に向けて動き始めます。当初は、国内の技術で車両開発を進めますが、おもうような性能を出すことができません。トラブルが多発し信頼性に欠けました。そこで海外からの技術を導入することにしました。

 中国政府は、日(川崎重工業を中心とする企業連合)、仏(アルストム)、独(ボンバルディアとシーメンス)を競わせ、製造技術を開示させることに成功します。それを基に2005年から国内で高速鉄道車両の製造を開始し、高速鉄道網建設に乗り出しました。

3.特許問題

天津・北京間を結ぶ新幹線型車両

 「時速200キロ以上という高速鉄道が中国で本格的に運行し始めたのは2007年。それからわずか4年で運行距離は日本の新幹線の3倍にまで伸び、最新の区間では時速300キロ以上も達成した。

 当局者は『いまや日本の技術を上回る』と豪語し、海外輸出にも乗り出していた。」(日本経済新聞2011年7月26日)

 中国政府は、高速鉄道は中国の独自技術で達成されたと宣伝し、技術を供与した川崎重工業、JRその他関係する企業のみならず日本国民から反発を買いました。

 高速鉄道を製造する中国企業が特許申請を行ったことが知れ渡ると、日本の技術のパクリであるとか特許侵害であるといった報道がなされました。

 冷静に考えてみれば、日本企業が特許を取っているものは、新たな特許として認められません。特許を取っていないものについては、取れない理由や申請しない理由があったはずです。

 特許戦略は製造業経営の根幹を成すものです。そもそも中国の特許申請内容については何も判明していないのですから、過剰な反応は自らの品位を下げます。

4.事故

高速鉄道の起点・北京南駅(和諧之旅2009年2月NO.42より)

 そんな矢先の7月23日夜、事故は起きました。徐行運転中の列車に後続車両が突っ込み、4両が高架から転落。40人が死亡、192人が負傷したのです(注)。

 事故を起こしたD301は、北京南駅を07:50に出発し、福州駅に21:26に到着する予定でした。事故があったのは温州南駅の手前5キロ。D301は駅が近づき時速100キロ程度に減速し、いよいよ停車する態勢に入ろうとしていました。

 7月27日の時事速報を引用します。

 「追突直前の時速118キロ 乗客、急ブレーキ感じず 中国高速鉄道事故(上海時事)

 上海紙・東方早報は26日、中国浙江省温州市で23日夜発生した高速鉄道の追突・脱線事故で、D301列車がD3115列車に追突する2秒前の時速が車両内の電光表示で118キロだったとの乗客の証言を伝えた。

 この乗客によると、その時も急ブレーキをかけたような揺れは感じなかったという。

 また、上海紙・新聞晨報は、事故現場手前約12キロにある永嘉駅の運行記録や乗客の証言を基に両列車の動きを再現。D3115列車は定時から4分遅れの午後7時51分に同駅に到着し、同8時15分に徐行運転で出発した。

 一方、本来D3115列車より先に永嘉駅を通過するD301列車は悪天候により同12分、同駅に緊急停車した。両列車は約3分間、隣り合ったホームで停車していた。

 D301列車は同24分に出発後、急加速。同38分ごろ、前方を時速20キロ程度で走行していたD3115列車に追突した。」

(注:中国では長距離列車チケット実名購入制度を採っているが、鉄道部は乗客名簿を公表しておらず犠牲者数は暫定値)

5.検証

 D301は先に温州東駅に到着する予定でしたが、D3115が先に永嘉駅を出てしまい、列車の先後が入れ替わりました。管制センターの指示があったのか、運転手の判断かは不明ですが、D301の運転手は先行するD3115の存在を知っていました。

 先行するD3115が徐行したことがD301に伝わったのか不明ですが、温州東駅の手前の信号は故障して青になっていました。D301は通常の速度で駅に近づきます。

 徐行するD3115との距離が危険なまでに縮まりますが自動列車制御装置は作動しません。運転手は緊急ブレーキをかけることなく、そのまま追突したと推測されます。運転手は果たして前を見ていたのでしょうか。

 私は以前、上海のリニアモーターカーに乗ったことがあります。運転席に座った女性は、その隣にパイプ椅子を持ち込んで座った女性とおしゃべりに夢中で、前をほとんど見ていませんでした。

 (2005年9月掲載 若社長の中国日記VOL.111「約2万円」の感動

 高速鉄道は完全自動運転のリニアとは違うのでしょうが、停止操作は自動です。自動とは言っても運転手には前方確認義務があり、障害物を発見すれば手動で緊急ブレーキを作動させなければなりません。

6.中国高速鉄道の課題

 事故の翌朝、事故処理が始まった現場では、真っ先に先頭車両を破砕して地中に埋めました。日本人にとって理解不能なこの処理方法は、緊急ブレーキがかけられなかった事実の隠蔽であった可能性が浮上しています。

 中国鉄道部が如何に優秀でも事故原因調査には相応の時間がかかるものです。中国には特殊事情があるにせよ、事故の翌朝の車両破壊を証拠隠滅と捉える市民やマスコミの声は当然のものと思われます。結局、車両は掘り出されました。

 事故車両や故障した機器は証拠として保存し、管制センターの指示内容、信号機故障の原因、自動列車制御装置が働かなかった原因、運転手が緊急ブレーキをかけなかった理由など充分な究明を行い、それを改善に生かさなければ犠牲者は報われません。安全性を高めることもできません。

 高速鉄道は、車両や鉄路、信号システム、安全装置といったハード、それに列車管制システムがあれば安全運行が行えるというものではありません。

 運行に携わる人材の育成教育、日々の訓練と管理、それに運行上得られるノウハウの積み重ねなども組み合わさった総合技術があってこそ成り立つものです。

 中国政府は、海外企業からの技術導入にあたって、目に見える技術に重点を置きすぎたように思えます。「中国独自技術」が確立され信頼を得るには長い時間がかかりそうです。

第17話終わり

写真上:あじあ号(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
写真中:天津・北京間を結ぶ新幹線型車両
写真下:高速鉄道の起点・北京南駅(和諧之旅2009年2月NO.42より)