第46話 「永遠の0」宮部久蔵は卑怯者か

投稿日:2014年4月04日

 昨年、すなわち十八年(引用者注:昭和18年(1943))初頭までは、まだ希望のある、やり甲斐のある戦いであった。しかし、いまはだだ武人として卑怯者になりたくないためにやっているといってもよかった。

 何百人という空の戦友が散っていったラバウル航空隊である。それらの散っていった戦友たちの残したものは、ラバウル魂であった。ラバウル航空隊には尊い伝統があり、誇りがある。私たちはいまは、その誇りのために戦っているのだ。

 搭乗員のだれ一人として、もう戦局の勝敗などは考えてはいない。私たちはおそかれ早かれ、空の消耗品として戦死する運命にある。千に一つ、あるいは万に一つ、生存する道があったとしても、だれ一人としてその道に望みをかけている者はいなかった。(岩本徹三「零戦撃墜王 空戦八年の記録」)

1.海軍零式戦闘機

海軍零式艦上戦闘機54型(遊就館)

 関西空港から北京に向かう機内で「永遠の0」(えいえんのゼロ)という映画を見ました。百田尚樹の小説を映画化したものです。

 岡田准一演じる宮部久蔵は海軍零式艦上戦闘機、通称零戦のパイロットです。題名の「0」は、零戦を意味します。

 零戦は、昭和15年(1940)に制式採用されました。大日本帝国では昭和15年を皇紀2600年(日本が始まってから二千六百年目)としました。軍用機の名称を皇紀の下二桁の数字とする規定により「零式」とされたものです。

 同様の例として陸軍一式戦闘機隼(はやぶさ)は、皇紀2601年(昭和16年)に制式採用されたことを意味します。

 零戦は、航続距離が2,200キロと他国の戦闘機の数倍。機関銃二丁に加えて20ミリ機関砲も二門と重武装。更に小回りが利いて格闘性能に優れ、当初は世界最高水準の戦闘機でした。

2.宮部久蔵

陸軍一式戦闘機隼復元模型(知覧特攻平和会館)

 佐伯慶子と弟の健太郎は祖母の死を契機に祖父宮部久蔵がどういう人物であったのか調べ始めます。南太平洋にあったラバウル航空隊で久蔵と一緒だった戦闘機乗りから「海軍航空隊一の臆病者」、「何よりも命を惜しむ人物だった」と聞かされ、気落ちします。

 ところが実はずば抜けた能力を持つパイロットであったことが解ってきます。久蔵は戦局が悪化する中、零戦の戦闘能力が相対的に低下し、数でも圧倒される状況下、敢えて乱戦を避けていたのです。

3.ランチェスター法則

同説明パネル(知覧特攻平和会館)

 「ランチェスター法則は、オペレーションリサーチの創始者とされるイギリスの航空工学者フレデリック・ランチェスターが導出した戦闘理論である。

 この法則では、戦う相手を特定する一騎打ちと、互いに不特定多数の兵に機関銃を乱射するような集団戦闘という、両極端の戦闘形態を想定している。そして、『戦闘力は、一騎打ちでは兵力に比例するが、集団戦闘では、兵力の2乗に比例する』とした。」
(福田秀人「ランチェスター戦略の意義と概要」立教大学大学院21世紀社会デザイン研究2013年12号)

 例えば、10機対7機で一騎打ちをした場合は、多い方は3機残り、少ない方は全滅です。集団戦闘、即ち乱戦になった場合は、戦力比が100対49になり、多い方は約半数残り、少ない方は全滅です。

 とするならば少数が多数と戦って生き残ろうとする場合、多数側を分散させ、小さな局面で優勢を確保した上で、各個撃破に持ち込まなければなりません。宮部久蔵は、この法則を知らずとも、実戦経験上これを習得し実践していたのです。

 因みにランチェスター法則は日本において組織経営手法にも応用され、ランチェスター戦略として定着しています。

4.岩本徹三

特攻機・桜花(遊就館)

 岩本徹三は撃墜機数202機、海軍航空隊随一の撃墜王です。大戦を生き延び、昭和30年に亡くなります。没後発見された回想録が昭和47年に書物として出版されました。

 冒頭の文章はそこからの引用です。氏はなぜ幾多の戦闘をくぐり抜けられたのか、彼の文章に手掛かりがあります。

 「敵はすでに二群にわかれ、一群は早くもラバウル地区に浸入しつつある。
 私たちはトベラ地区に向かってくる別の一群に対して、山の手の方で旋回して正面攻撃を避けた。
 その間に浸入した敵は、基地に向け、爆撃を開始した。
 爆撃を終わった敵機は、つぎつぎに引き起こして海上方面に離脱していく。ねらうのはそこである。私たちは敵機と同航で接敵し、海面の手前で第一撃を開始した。

 列機もいつものやり方に慣れているので、無理な攻撃はしない。短時間の攻撃で、すでに敵の数機がジャングルの中に、あるいは海面に落ちていった。」

5.永遠の0

 宮部久蔵は、「腕を無くしても、脚を無くしても必ず帰って来る。死んでも生まれ変わって帰って来る」と妻に言い残して戦地に向かいました。

 大戦末期、久蔵は教官として特攻隊員に操縦を指導します。特攻隊員は爆弾を積んだ飛行機ごと敵の航空母艦に体当たりすることを任務とします。久蔵は自分が訓練した若者が、特攻隊員として死んで行くことに耐えられません。操縦を教えることは若者を死なせることになります。久蔵は悩み、神経を病んでいきます。

 久蔵は特攻を志願します。出撃の日、乗機のエンジン不調に気付き、あるパイロットに乗機の交換を頼みます。そのパイロットが途中で引き返し生き延びることを期待していたのです。そのパイロットはどうなったのか、映画をご覧下さい。涙なくしては見られない、感動が待っています。

第46話終わり

写真1:海軍零式艦上戦闘機54型(遊就館)
写真2:陸軍一式戦闘機隼復元模型(知覧特攻平和会館)
写真3:同説明パネル(知覧特攻平和会館)
写真4:特攻機・桜花(遊就館)