第50話 中国化する日本

投稿日:2014年8月08日

 世界で最初に「近世」に入った地域はどこでしょうか---江戸時代の日本? もちろんNO。ルネッサンス期のイタリア? 全然違います。正解は、宋朝の中国なのです。(中略)

 宋という王朝は、唐までの中国とはまったく異なるシステムを導入した、文字通り「画期的」な王朝であり、さらにその宋で導入された社会のしくみが、中国でも、そして(日本以外の)全世界でも、現在に至るまで続いているとさえいえるのです。

與那覇 潤 著「中国化する日本 増補版」(文春文庫)より

1.画期的なシステム

文春文庫「中国化する日本」

 冒頭に引用した文庫本の帯には「東大で一番売れた本!」と書かれています。著者の與那覇(よなは)氏は1979年生。東京大学教養学部卒。新進気鋭の歴史学者です。帯には小さな文字で「これが、いま最先端の『大学の日本史』入門書」とも書かれており、これが決め手となって購入しました。

 さて、宋で導入された画期的なシステムとは何でしょう。

 「世界で最初に(皇帝以外の)身分制や世襲制が撤廃された結果、移動の自由・営業の自由・職業選択の自由が、広く江湖に行きわたることになります。科挙という形で、官吏すなわち支配者へとなり上がる門戸も開放される。科挙は男性であればおおむね誰でも受験できましたので、(男女間の差別を別にすれば)『自由』と『機会の平等』はほとんど達成されたとすらいえるでしょう。」

 「自由といっても与えられるのは経済活動についての自由だけで、政治的な自由は(科挙への挑戦権を除けば)極めて強く制限されます。貴族を排除して皇帝が全権力を握った以上、その批判は御法度、彼に逆らう『自由』などというものは存在しません。」

2.明治維新

 明治維新の時点で、欧州では王国が普通であり、貴族という身分や特権、その世襲制が色濃く残る社会でした。明治維新は西洋化。こういった見方は最先端の研究では否定されているそうです。実は「中国化」だったのです。

 「将軍や幕府といった二重権力構造を排除して、明治天皇ご足下の太政官に政治システムを一本化したわけですから、ようやっと『宋朝以降の中国皇帝のように権力が一元化された王権』が確立されたことになります。」

 士農工商の身分制は廃止され、科挙制度と競争社会も導入されました。科挙は「高等文官試験」という名称です。

 福沢諭吉はその著書「学問のすすめ」の中で「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と書いて人間平等を説いたと我々の世代は学びましたが、これは間違い。「機会均等で誰もが高等文官試験を受験できるのだからしっかり学んで試験に受かり、成功者になれ」が趣旨でした。

 高等文官試験に合格した人は、中央官僚になるのみならず地方にも知事として派遣されました。天皇を頂点とした中国型の中央集権国家が確立しました。

3.中国と朝鮮の近代化

 近代化革命の明治維新が「西洋化」ではなく「中国化」であったとすれば、中国が「中国化」すること自体ナンセンスです。朝鮮は既に「中国化」していました。両国に明治維新に類した近代化革命が起きようはずはありません。

 日本が明治維新に成功したのは、「平氏政権を源氏が潰し、後醍醐天皇の足を足利尊氏が引っ張り、最後には江戸時代という究極の『反・中国化』体制を作り上げることで、いつかやることになるであろう『中国化』の時期を1000年近く遅らせてきた分、日本人は『西洋化』のために社会を一変させなければいけない時期と、歴史の必然である『中国化』のタイミングとを合わせることができたわけです。」

4.民主化

 法の支配、基本的人権、議会制民主主義に代表される欧米の価値観は、現代の中国に充足されているとはいえません。それは中国社会に共産主義が導入されたこともありますが、もともと宋王朝に始まる「画期的なシステム」には含まれていませんでした。なぜこれらが欧米で確立されたのでしょう。

 それは、貴族制が残る「遅れた野蛮な」中世の欧州では、貴族たちは王に勝手なことをされないよう議会の場で取り決めるというシステムができ、そうして王の権力を押さえて貴族が得てきた既得権益を、近代の社会の発展につれて下位身分の者と分け合って行く流れがあったからです。この成果を明治以降の日本は「西洋化」として受け入れます。

5.江戸時代の日本

熊本城

 「戦国大名の使命とはなにか。『天下統一』ではありません(それは、TVゲームの中だけの話)。近隣との食糧分捕り合戦から地元を防衛するために、道路整備と駅伝制度の管理を通じて迅速な情報伝達と物資輸送にこれ努め、いざというときは避難民を城郭内に収容して、地域住民の『命を守る』ことなのです。

 ここが、国家が万事『市場に任せよ』で、民政機能を放棄していった近世中国との、大きな分岐点です。」

 欧州のお城は「私的所有物」ですが、日本のお城は「公共建築」です。日本では戦国時代から「国民国家」が成立していたのです。

 そして江戸時代。職業と身分が固定され、「欲を張らずにそれさえ愚直に維持していさえすれば子孫代々そこそこ食べていける家職や家産」が、イエ(家)毎に保障される社会ができました。もっともイエを継ぐ長男はともかく、継ぐイエのない次男以下には厳しい社会ではありました。

 明治維新後、藩が果たした役割が国と企業に置き換わって、男性優位の福祉行政(例えば専業主婦の存在を前提とする年金制度)、企業内組合と年功序列賃金で、イエを単位として社会保障が行われる江戸時代的な『反・中国化』体制が生き延びました。

6.これからの日本

江戸時代の民家・菊家家(奈良市月ヶ瀬桃香野)

 今の日本は、「お年寄りに手厚くしすぎて破綻しかけている年金制度や、不況の下で福祉代替機能を失った企業(ムラ)、離婚や非婚の増加でもはやセーフティー・ネットの受け皿たりえない家族(イエ)など、江戸時代的な生活保障がことごとく崩壊」しています。日本の雇用を支えてきた製造業が海外に逃げ出しています。

 一人一人が自己責任で人生を切り開いていかなければならない究極の、個人主義、個人責任、機会均等の自由競争社会である「中国化」の流れは避けられません。これからの日本はどうなるのでしょう。

7.シナリオその1「中国化」

「中国化」の先進都市・香港

 「メディア露出重視のコストカッター首長が、行政主導のトップダウン形式で、議会政治の弱体化と公務員待遇切り下げを進める。明治以来の地方名望家として県議・市議の実権を握ってきた地元の親分の力は衰弱し、いよいよもって地域社会は空洞化し、江戸時代の伝統から遠ざかる。お役所では『副業を解禁するから自力で稼げ』が職員共通のスローガンになり、薄給の本業は放り出して『役得』の追求に専念するエートスが末端の役人まで浸透し、『心づけ』の多寡が申請の可否を決める習慣ができる。」

 日本国の財政は破綻寸前です。人気取りの政治家が根本的な財政再建を行うことはありません。議員報酬や公務員給与を削ったところでたかが知れた金額なので、やがて財政破綻し、IMF管理下に入るというものです。公的な社会保障はなくなり、「中国化」が実現します。

8.シナリオその2「江戸時代化」

 中国化をあくまでも拒否して古き良き?江戸時代に戻るという道もあります。

 江戸時代の「反・中国化」体制は、「地域でも会社でも人をまず場所に縛りつけて、そこでしか通用しないローカルルールを外部からの参入障壁にして、組織や社会を回そうとするやり方」と定義できます。

 即ち、良妻賢母の家族道徳の復活、生めよ増やせよ運動、メーカーの海外移転規制、非正規労働を禁止して正規雇用を義務付けるなどの政策を取り、行き着くところは計画経済、そして鎖国。報道の自由の制限、議会停止となり、北朝鮮のような国家社会主義の独裁国家になるというものです。

9.正解のない道

与那覇潤氏(日本経済新聞8月6日夕刊)

 東日本大震災では「ひとまずは自らの統治機構を信じて秩序整然と『城郭』への避難行動をとることができた」のですが、「公的機構では行き届かないケア不足の中で、ある意味で日本人は初めて、中国のような社会で生きるとはどのようなことかを、理解しつつあるのかもしれません。」

 「これまで地域や職場ごとに結ばれてきた絆を失ってもなお、私たちは生きていけるだろうか。あるいは中間集団なき流民と化した国民と、生活の手綱を一手に握る国家とが対峙した時、そこには日本史上かつてない専制権力が生まれはしないだろうか。」そうならないように法の支配、基本的人権、議会制民主主義を疎かにすることはできません。

 「私たちが生きていかなければならないのは、おそらくは1000年も前に『歴史の終わり』を迎えて変化の止まった中国のような社会であり、そしてそのような社会にいかなる正負の側面があり、なにをなすことが可能でなにをやったら危険なのかを過去の事例から学ぶことこそ、いま歴史というものに求められている使命と確信します。」

第50話終わり

写真1:文春文庫「中国化する日本」
写真2:熊本城
写真3:江戸時代の民家・菊家家(奈良市月ヶ瀬桃香野)
写真4:「中国化」の先進都市・香港
写真5:与那覇潤氏(日本経済新聞8月6日夕刊)