第52話 神器の創造と変遷 <後編>

投稿日:2014年11月21日

13.神話の完成

 686年に天武(てんむ)天皇が亡くなると藤原不比等(ふひと)の時代がやってきます。不比等は天智(てんち)天皇の子であり天皇家に娘を嫁がせる藤原家の実質上の初代です。

 天武は壬申(じんしん)の乱の後、天智の子である弘文天皇(大友皇子)を自決させ天皇になります。不比等は天武憎し。

 690年、中国・唐の高宗の皇后・武則天(ぶそくてん)が皇帝に即位し、国号を周と改めました。国の乗っ取りです。都も長安(ちょうあん)から洛陽(らくよう)に遷し、神都(しんと)と改名しました。

 不比等はこれにならって天武天皇の皇后を持統(じとう)天皇として擁立し、その即位年を武則天と同じ690年にします。建設途上の藤原京に代えて、神都と同緯度に平城京を建設します。

 不比等は、天皇を中心とした中央集権国家建設の一環として天武が編纂した歴史書に手を加えます。神話を更に長く複雑なものにし、歴史時代の始まりを千年近く遡らせて延長することで、日本が長い歴史をもつ立派な国であるように偽装しました。

 その頂点に立つ天皇家の神格化は一層進み、天皇の地位は一段の高みに上がりました。完成したものが古事記と日本書紀(記紀)です。

 主たる改変は、神話時代から実質上の初代天皇である崇神(すじん)にかけての部分で行われました。次にその流れを記します。新たに盛り込んだ部分には左側に「*」と、以下で触れる段落の番号を付けました。

創造神イザナギとイザナミの結婚
 ↓
太陽神オオヒルメの誕生
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*14 イザナミの死
 ↓
*14 太陽神アマテラスの誕生
 ↓
アマテラスの弟・スサノオの降臨
 ↓
八岐大蛇退治(アメノムラクモ剣の神話)
 ↓
スサノオの子孫・大国主による国造り
 ↓
出雲系王朝の成立
 ↓
*15フツヌシとタケミカヅチの降臨
(フツミタマ剣の創造)
 ↓
*15 大国主の国譲り(初回。神話時代)
 ↓
*16 ニニギの天孫降臨(三種の神器の創造)
 ↓
*16 神武天皇の誕生
 ↓
登美ナガスネヒコの国譲り(二回目。歴史時代)
 ↓
初代神武天皇と大物主の孫娘の結婚、
二代目綏靖天皇の誕生(王朝間の接続神話)
 ↓
*17 二代目から九代目まで架空の天皇の創造
 ↓
第十代崇神天皇(実質上の初代天皇)

14.アマテラスの創造

物部王朝が祀り始めた住吉大社

 山の神信仰を含んだ太陽神オオヒルメは不要です。「皇祖神」(皇室の祖とされる神)の概念を明確にし、純粋な太陽神アマテラスを皇祖神として創造します。

 その方法はかなり杜撰(ずさん)です。天武が創った太陽神オオヒルメはそのまま残し、重ねて太陽神アマテラスを生むことにします。

 即ち、創造神イザナギとイザナミ夫婦が日本列島、オオヒルメ、月の神ツクヨミ、スサノオを生んだ後、女神イザナミが死に、男やもめになったイザナギがアマテラス、ツクヨミ、スサノオを重ねて生みます。多くの「一書」(別の書物)を引用してオオヒルメの別名がアマテラスであるかのような記述も盛り込みました。

 矛盾に満ちた複雑で長いものになりましたが、それは不比等の狙ったところでした。長くて複雑なほど日本は中国に対抗できる長い歴史と文明を持つことになるからです。

 伊勢神宮斎宮の南東には手つかずの照葉樹林に覆われた丘陵地が広がります。不比等と持統天皇はここにアマテラスが住む神殿を建てます。これが今日まで続く伊勢神宮です(第41話「皇祖神アマテラスの創造」2013年11月)。

 伊勢神宮斎宮(さいぐう)は維持しますが、祭神をアマテラスに変え、それを象徴する鏡を取り替えたであろうことは想像に難くありません。

15.二度の国譲りとフツヌシ神の創造

 天武天皇はフツミタマの剣の欠陥に気付き、最初の出雲系王朝から受け継がれるアメノムラクモの剣(別名クサナギの剣)を創造しましたが、フツミタマはそのまま残されました。

 不比等は、フツミタマの欠陥を補います。

 先ず、神話時代にタケミカヅチとフツヌシの二神が降臨し、出雲系王朝の大国主が国を譲ることにしました。その後歴史時代に入って神武天皇が東征し、登美ナガスネヒコが出雲系王朝を譲ります。

 神武天皇が窮地に陥ってフツミタマの剣で切り抜ける場面で、フツヌシ神がフツミタマの剣を象徴していることが明かされます。

 即ち、国譲りは二回行われます。前者は神話時代、後者は歴史時代です。神話時代に使った剣を歴史時代の征服にも使います。ということは、フツミタマの剣は出雲系王朝以前の神代から皇祖神アマテラスの住む天の世界に存在したことになります。

 フツミタマの剣は、アメノムラクモの剣より古く尊い存在になったのです。

 実は、日本書紀に先行して完成した古事記には肝心のフツヌシ神の降臨が抜けています。

 古事記編纂時点では、以下に述べる歴史の延長を目的として先ずは「二度の国譲り」を創造し、8年後の日本書紀完成までにフツヌシ神を創造してフツミタマの剣の欠陥を補ったことが推測できます。

16.天孫降臨と神武天皇の創造

物部守屋を追悼する善光寺

 そもそも国譲りで出雲系王朝に国を譲らせたのは、降臨したニギハヤヒ神でした。

 不比等が創った神話時代の国譲りでは、新しい神タケミカヅチとフツヌシを降臨させました。二度目の国譲りの設定は歴史時代ですので神を降臨させる訳にはいきません。ニギハヤヒ神の出る幕がなくなってしまいました。

 不比等は、新しくニニギ神を創造し、歴史時代の国譲りの前に三種の神器を持って降臨したことにし、海幸彦山幸彦(うみさちひこ、やまさちひこ)の神話を挿入した上で、その子孫・神武(じんむ)が出雲系王朝から国を譲り受けることにします。

 「国譲り」は、王朝間の接続神話ですから本当は神話時代なのですが、二度の国譲りを設定した不比等としては二度目は歴史時代の出来事にしなければなりません。

 そこで神武を初代天皇としました。神武の在位は75年間とし、次の項目で述べる「歴史の延長」にも利用します。

 こうしてニギハヤヒ神の果たした役割をタケミカヅチとフツヌシ神、それに神武天皇が分担することになり、ニギハヤヒ神は隅っこに追いやられたのです。その追いやられ方はひどいものです。征服した側から外され、単に征服された登美ナガスネヒコが信じる神になったのです。

17.歴史の延長

 中国の初代王朝・夏(か)ができたのは紀元前二千年。不比等が生きた時代に中国は二千七百年の歴史を持ちました。一方日本は、2世紀末に出雲系王朝ができてから五百余年の歴史しかありません。

 不比等は、歴史を延ばそうと考えました。方法は簡単です。神武天皇の即位を九百年余り遡らせ、紀元前660年(昭和15年を皇紀2600年とした場合)とします。浮いたその九百年間に架空の天皇八代を設定したのです。

 第二代綏靖(すいぜい)天皇から第九代開化(かいか)天皇まで。この間、記紀には事績や物語がほとんど書かれていません。これを「欠史八代」(けっしはちだい)と言います。

 第十代崇神(すじん)が実質上の初代天皇。日本書紀も正直に神武天皇と同様、「ハツクニシラス」(初代天皇)とします。崇神は実際に出雲王朝を滅ぼした始祖王ですから従来のウマシマジ(ニギハヤヒ神の子)を改名したものです。

 欠史八代で九百年を埋めるのは困難ですので、崇神天皇の即位も実際よりはかなり古く設定され、寿命も百二十歳。この後の天皇も延長した歴史を埋める為に長寿であったり、架空の天皇が挿入されたりします。

18.鹿島神宮と香取神宮

石上神宮宝物(同宮絵葉書より)

 神器に戻りましょう。

 不比等は皇祖神アマテラスを祀る神殿を建設しました。斎宮にはアマテラスを象徴する神器鏡を祀りました。次は、二つの神剣を祀る神社の建設です。

 不比等は、二つの剣のみならずニギハヤヒ神がもたらした十種神宝(とくさのかんだから)や物部王朝の宝物を合わせて祀る石上(いそのかみ)神宮に代わって、純粋に剣を祀る鹿島(かしま)、香取(かとり)、熱田(あつた)の三つの神社を造ります。

 鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)にはタケミカヅチ神が祀られ、フツミタマの剣を神宝としています。香取神宮(千葉県香取市)にはフツヌシ神を祀ります。フツヌシ神がフツミタマの剣を象徴していることは先に述べた通りです。

 これら二社が石上に代わってフツミタマを祀る存在になりました。石上は国家級の祭祀を行う場所ではなくなりました。平安時代、927年にまとめられた延喜式神名帳には、伊勢、鹿島、香取の三社のみが神宮で、石上が抜け落ちています。

 尚、鹿島、香取は「神宮」とは言うものの、斎宮は伴っていません。高い格付けを表す為に「神宮」の呼称が使われるようになったのです。

19.熱田神宮

 もう一つの神剣・アメノムラクモは熱田神宮(名古屋市)に祀ります。熱田は鹿島、香取に比べて神階が低かったのですが、いつのまにか神宮を名乗るようになります。

 熱田神宮では、ヤマトタケルの死後、その妃が剣を熱田に祀ったのが神宮の始まりとしています。

 日本書紀には天智天皇7年(668)、「新羅僧道行が盗んで新羅に持ち帰ろうとしたが、船が難破し戻った」とあります。熱田神宮では、熱田神宮から持ち出されたものが宮中に戻され、朱鳥元(686)年、天武天皇崩御前の病気を機に熱田に戻されたとします。

 朱鳥元年といえば石上で祀り始めた年です。熱田が石上にとって代わったことを示します。

20.熱田神宮その後

 熱田神宮は鎌倉時代にも栄えます。源頼朝(みなもとのよりとも)の生母が熱田神宮の大宮司藤原季範(ふじわらすえのり)の娘だったのです。

 室町時代も守護・斯波(しば)氏の保護を受け、織田信長の寄進も得ました。一時衰退しますが、貞享3年(1686)、徳川五代将軍綱吉が再興。綱吉が帰依した真言宗豊山派の寺として生まれ変わります。

 明治維新の廃仏毀釈により、ほとんどの建物は破壊され、記録も失われてしまいました。新たに国家神道を担う熱田神宮としての再出発です。古事記に書かれた三種の神器・クサナギの剣(アメノムラクモの剣)を祀っていることが権威付けに役立ちました。

 大日本帝国拡大の為に戦争が続きましたので「戦の神」として大繁盛しました。しかし、敗戦を経て平和国家になった現代日本では、何とも収まりの悪いことになってしまいました。

 ただ今日も多くの参拝者で賑わいます。それは伊勢、鹿島、香取、石上と同様にこの国の成り立ちに関わる神器に宿る神が祀られているからに他なりません。

第52話終わり

写真1:物部王朝が祀り始めた住吉大社
写真2:物部守屋を追悼する善光寺
写真3:石上神宮宝物(同宮絵葉書より)