42年ぶりの腕立て伏せ、東部戦線の情景5 vol.181

投稿日:2020年1月05日

<酒蔵の様子>

 新年明けましておめでとうございます。令和最初の正月を迎えました。

 本年も宜しくお願い申し上げます。

 年末の26日は、駐日ヨルダン大使御一行が来訪され、酒蔵を案内しました。名誉なことです。日ごろあまり使わない英語で、テクニカルタームを交えて話すのは緊張しましたが満足していただけたようで、喜んで帰っていかれました。

 一昨年は清酒消費が年間で7%も減り、清酒業界は存続の危機とまで言われましたが、昨年も同様に減りました。私がこの業界に入った1995年から昨年までの25年間で日本の清酒出荷量は三分の一に激減。全酒類の出荷数量に占める清酒の比率は、もはや5%。日本人は年末年始以外、清酒を飲まなくなりました。残念なことです。

<42年ぶりの腕立て伏せ>

 弱り目に祟り目と言うのでしょうか、年末は鰤(ぶり)のアラを切っている時に出刃包丁が自分の指に当たり緊急手術。パソコン操作も不自由で年賀状書きができず、餅つきやおせち料理作りも家内や帰省した姉、弟、愚息に任せ、達者な口で手伝いました。

 毎朝続けてきた拳立てもできず、腕立て伏せに切り替えました。考えてみれば少林寺拳法を習った18歳以来、42年ぶりの腕立てです。幸いなことに当たった場所が拳立てで丈夫になった人差し指の第二関節で、骨の一部が切り落とされることで衝撃を吸収し、腱の一部が切断されずに残りました。後遺症は最低限で済みそうです。

 今年の初詣は番条町の熊野神社、隣の稗田町にある賣太(めた)神社、そして薬師寺。薬師寺は改修工事が終わって東塔を覆っていた建物が撤去され、伽藍全貌を見ることができました。指の回復を祈るのを忘れましたが薬師如来の御利益はあるようで、こうしてパソコン操作もできるほど縫合した部分はうまくひっつき、指の上に座っても耐えられるまでになりました。月末には拳立てを復活させ、年末に備えようと考えています。

<模型で作る情景>

モスクワ防衛(横から撮影)

 今回は、昨年最初に発見された七両の戦車の最後。ソ連を代表するT34中戦車の初期型です。

 T34は、前後左右ともに傾斜鋼板。砲塔も傾斜鋼板。水平に撃ち込まれる対戦車砲弾を高い確率で弾き飛ばします。主砲は76mm。当時としては最も強力でした。発動機は被弾しても発火しにくいディーゼルエンジン。現代戦車の原型と考えてよいでしょう。欠点は、砲塔が狭い上に内部に兵士が載る籠がなく、砲塔を回すと兵士も就いて回らなければならなかったことです。その後改良がすすみ、先ずは砲塔を拡大して籠を付け、次に85mm長身砲を積む大型砲塔を持つ型に進化し、大戦終結まで主力戦車として活躍します。

 1941年6月、ソ連に進行したドイツ軍は破竹の勢いで進撃します。中央軍は首都モスクワ郊外に迫ります。しかし戦線は北はバルト海から南はカスピ海を結ぶ二千キロもの長さに伸び、ソ連軍の反撃も頑強で進撃は止まります。今回の情景は、モスクワ郊外でソ連軍の反撃の先頭に立つT34初期型の雄姿「モスクワ防衛」です。前年に量産が始まったばかりで十分な数はいきわたらず、通信機の生産も追いつかず積んでいませんので連携した集団戦はできませんが、防御力と攻撃力はドイツ戦車を軽く凌いでいます。ドイツ軍は近距離になるまで撃破できず、おまけに砲弾の補給もままなりません。雪が降りました。冬将軍の到来です。ドイツ軍は敗走を始めます。「追撃!」、戦車長が赤旗を振って合図します。

モスクワ防衛(前から撮影)

モスクワ防衛(後ろから撮影)

展示にあたって手を加えた点は次の通り。
・砲塔のハッチがなくなっていたので、厚紙などで自作しました。
・車体に書かれたロシア語文字のシールが44年の歳月で黄ばみ、それが目立つので、黄ばんだ部分に車体と同じ冬季迷彩色の白色を塗りました。
・戦車長の顔に赤茶色を薄く上塗りして、上気した雰囲気を作りました。
・道路標識の部品が出てきたので塗装して「モスクワ」のシールを貼りました。
・地面は、展示ケースに直接雪のテキスチャー塗料を塗って仕上げました。キャタピラに少し雪を付けてやりました。

 高校一年の時、戦車長の手に赤旗を持たせる改造をしたこと、白の迷彩塗装をして、その出来に感動していたことなど、昔を思い出しました。

写真1:モスクワ防衛(横から撮影)
写真2:モスクワ防衛(前から撮影)
写真3:モスクワ防衛(後ろから撮影)